『野外活動で神仏を味方につける?』

昨夜は、戸を開けっぱなしにして寝て、気づいたら朝になってました。

冬にこういうことをしたら間違いなく風邪をひきますが、そうなってません。

ということはもう冬が終わり、暑い季節の始まりということでしょうかね。

気合を入れていきましょう。

前回は、塚本徳臣選手のスピリチュアル的な稽古の仕方について話しました。

ただ単なる稽古やトレーニングの積み重ねではホントの強さを身に着けることはできない、ということを納得してもらえたら嬉しいこととこの上ありません。

今回は、神や仏を味方につける方法を講義したいと思います。

山の頂上やその付近というのは、昔から僧侶たちが行をおこなう時に使ってました。

修験道としての場だったのですね。

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何故か、神や仏が近くにいるということで、そういったものの味方につける、またはその力の一部を身に着けることができるということですね。

そういうことを信じるか信じないかはその人によります。

極真空手の創始者である大山倍達総裁は、20代前半に、千葉県の清澄山に山籠もりをしたのです。

その修行がこんにちの大山総裁の強さの伝説のもとになっていることは間違いありません。

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これまでこのブログで書いたように、強い人、運のいい人というのは、身体が清潔な人、心がきれいな人であるということです。

大山総裁もそういう特徴を備えている人であったことは間違いありません。


館
大山総裁

その心をきれいにする方法ですが、その山籠もりにヒントがある気がしてなりません。

どの山でもそうですが、高い所までいって下を見下ろすと、非常に心澄む様な気になりますね。

心の澱が一気に無くなるのがわかります。

そういう状態になってこそ、人の体は爽快に動く気がします。

逆に、人とのしがらみに悩んで、心に澱がかかっている状態では、爽快に動くことはできません。

これは、そのような広大な風景を見るとそういう心の状態になるという生理的な働きなのか、あるいは神や仏に近いところにいるからそうなるのかはわかりません。

私はその両方だと思います。

しかも、後者の方に近いです。

大山総裁は、いつもそういう爽快な気分になって修行をしていたから、神や仏が宿って総裁に味方してパワーを得ることができた、そんな気がするのです。

しかし、最近某山の頂上近くにのぼって下を見下ろし、その情景を視野に収めた時の爽快感は測り知れないものがありました。

神や仏の力を得ることができる…
そんな気になってしまいました。

1991年の極真空手の世界大会がおこなわれた年の夏に、日本人選手は神奈川の湯河原に合宿に行きました。

その際、伝説的に語られるのは、日本人選手はそこで地獄坂で上りのダッシュを20本を強行されたのです。

その坂は、タクシーの運転手でさえも、上るのがきついといわれていたようです。

そんな急な坂をダッシュさせられたというのですから、日本人選手たちの苦悩ははかり知れません。

そこも山なのはことわるまでもないです。

その山=神や仏の近くにいることでその力の一部を身に着け、日本人が優勝し、のみならず日本人選手がベスト8中、6人が入賞できたのではないか、そんなことを考えてしまうのですね。

しかも驚異的なのは、そんな急坂の20本ダッシュをした次の日、他の日本人選手はくたくたになって寝ているのに、緑健児(現新極真会代表)は早朝に起きて、1人でその地獄坂でまたダッシュをしていたというから驚きです。

緑
緑健児

その神や仏の近いところに人よりも長くいたから更に力を得ることができ、緑代表は優勝できたのではないか、そんなことも考えてしまうのですね。

また、新極真会の第7回世界大会で優勝した岡本徹選手は、毎朝東京の世田谷にある羽根木公園というちょっとした山にあるところで自主トレをしていたといいますし、前回紹介した塚本選手も高いところで修業していました。

また、2015年の新極真会の世界大会が行われる年に、日本人選手たちは、神奈川県の南足柄市にある「夕陽の滝」で必勝祈願の滝浴びをしたといいます。

結果、日本人選手が優勝できた。

これまで新極真会で活躍をしてきた、塚越孝之、野本尚宏、前川憲司といった人たちも野外での修練を習慣づけていた。

やはりこういうことを列挙していくとやはり、外に出て、自然や神や仏に触れることで、気分が爽快になり、それらの力の一部を得ることができるということが往々にしてあるのではないかと思われてならないのですね。

逆に、部屋内に閉じこもって、人間とのしがらみや嫌なことを思い出してはそれにふけっている人は、どこか暗く、その顔を見ているとこちらが陰鬱になり、そういう人はやはりどんな分野にでも成功することはできていない。

そうではないですか?

のみならず、神仏の反対つまり悪魔などがその人の意識を占領して悪さをする、または死に至らせる…そうではないですか?

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いや冗談ではなく。

今、40代50代の人の孤独死が急増しているということです。

その人たちに共通するのは、人との接触を避けて、テレビゲームやDVDやアニメに耽るタイプであるということです。

誰でも、今や携帯電話やスマホなどは誰でも持っている時代です。

具合が悪くなってしまったのなら、それらを使って救急車を呼ぶことなどできるはずです。

80代の老人なら話は別ですが、なぜそんなこともできなかったのか40代50代の人が?

やはり悪魔、悪霊がその人にそうしないようにしむけたのではないか。

オカルトチックですが、頷ける話ではないですか?

やはり自然に触れないで、室内にだけ籠るのはやはりいいことではないし、人生も稽古事も好転させることはできないということです。

大学に行ったことのある人なら誰でも見聞したことがあると思いますが、室内にばかりこもって勉強だけして、人と接触の極端に少ない教授というのは何か暗くて声が小さくて怪しいですよね?(笑)

そして学業的な業績も大したことない。

逆に、勉強に勤しむだけでなく、人との接触や会話を欠かさない教授は、声が大きくて、やはり朗らかで爽やかですよね?

そして、学業的な業績も着実にあげている。

それに幼少のころを思い出せばわかるように、外に出てトレーニングをしていくと精神的にいいのはわかりますよね?

私は幼少のころは、近くの野球場や球技のできる広場がある公園にいって、ドッジボールやサッカー、野球などをよくしていました。

そこで遊んだ思い出はやはり爽快な気分にあふれたものばかりです。

のみならずそこで多くの友人たちと育んだ友情の数々は、今でも私の心を癒してくれます。

今でもそこで育んだ友情は続いている。

私のみならず、そういうアスリートで重ねた思い出は、やはり爽快そのものではないでしょうか?

アメフトで一緒に練習し戦ったメイトと育んだ友情、サッカーで一緒に練習し戦ったメイトと育んだ友情、これらが自分の人生をよき方向へ導いてくれる。

やはり野外にいて活動していると神仏の加護を得て、人生を有意義にしてくれる。

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しかし、室内にばかり籠っていては、その加護を得ることはできないのみならず、悪い方向へ知らず知らずに行ってしまう…考えすぎですかね?(笑)

そんなことはないと思います。

これはなにも宗教に入れと言っているわけではないのです。

そうではなく、そういう人間を超えたものの存在を心の中で措定して行動することで、謙虚になれるし、人との接触においても同様である。

また、自分の力以上のものを得ることができるというのは、これまでの人間の歴史から明らかであるということです。

物事の成就における必須である「心の浄化」もすることが出来るということでもあるのです。

宗教に入るのではなく(別に入信している人はそれでいいですし否定はしません)、そういうものを心の中に措定して謙虚になり日々行動していく

そんな精神生活を勧めているのです。

ただ敢然と稽古やトレーニングを重ねているだけでは強くなれないですし、実際そうでしょう?

だからといって野外にでる、山の頂上辺に行って爽快な気分になるだけで強くはなれないことはお断りしておきます(笑)。

強くなる正当な理論通りの稽古やトレーニングをしていかなくてはダメです。

やはり野外でのしかも山の頂上や近くでの活動はどうしても勧めたくなりますね。

参考にしてくださいませ!

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極真分裂の20年間を振り返る。

2015年新極真会の世界大会において、日本人の島本雄二優勝した。

相手は同じ日本の入来建武であった。

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2015年 世界大会決勝(島本雄二 VS 入来建武)

世界大会の決勝が日本人同士…これこそがやはり望ましい世界大会のフィナーレであろう。

しかし、極真会館松井派は世界大会において、日本人が優勝できずに終わってしまった。

日本人でベスト8に入ったのは2人のみでいずれも準々決勝での敗退であった。

新極真会が優勝し、松井派はならず。

なれば、この2つの団体が一緒になれば日本が王座を取り返せるのではないか、と考える人がいても不思議ではない。

2つの団体が一緒になるという話ではないが1999年、極真会館の松井派の世界大会において、フランシスコフィリォが決勝戦で日本の数見肇を試し割り判定で破り、極真史上初の外国人王者が誕生したとき、2つの団体が対抗戦、つまり1999年の松井派の世界大会で優勝したフランシスコフィリォを含めた外国人と新極真会の日本人の対抗戦をしようという提案が、極真会館(三瓶啓二代表、今の新極真会)から松井派へ出されたことがあったのだ。

外国人が世界大会で優勝することはあってはならなかったので、それが実際に起きてしまった。

それならば、対抗戦をやって日本の威信を取り戻そうという意見が出されても無理はない。

フランシスコフィリォが優勝した同じ1999年において、極真会館(三瓶啓二代表)の世界大会では、日本の岡本徹がドイツのムザファーバカックを決勝で破り、日本の威信を守った。


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    岡本徹

しかし、松井章圭氏はこの提案を退け、以後、外国人が優勝すること3回にわたるが、以後このような提案が新極真会から出されることはなくなっている。

先に岡本徹が日本の威信を守ったと書いたが、以後、新極真会の世界大会において危なげない展開になった年もあったが、いずれも日本人が優勝できている。

しかし、極真会館が分裂して2015年で20年になる。

極真会館の創始者である大山倍達総裁が、94年4月26日に肺がんで逝去され、大山総裁の遺言により、後継者を第4回世界大会優勝者であり当時本部直轄浅草道場責任者であった松井章圭が継ぐことになった。

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   松井章圭

その年の全日本ウェイト制大会全日本大会は無事に執り行われ、この大会で日本代表選手がまず8人が決定し、年が明けてから次の年のウェイト制で日本代表選手が決定するので楽しみだな、と期待が持てた。

しかし、95年4月5日に全国支部長協議会において松井章圭氏の館長を解任が可決されたのである。

それは、

極真会の私物化
独断専行
不透明な経理処理

が解任の理由とされ、全国の48の支部のうち38の支部長が解任に賛成したのである。

こうなれば当然松井氏は退くべきであると思うが、それを松井氏は不服として退け、そのまま館長を維持継続していくことを決意。

それが不満で、協議会派は松井氏と袂を分かち、別々のウェイト制全日本大会、世界大会を催していくことになる。

私は支部長ではなかったし、その内容や経緯については詳細には知る由がないので長いコメントは避けたいが、個々の支部長のたちの雑誌のコメントを読んでみると、とにかく松井氏は、会議を開かずに1人で決めていったことが往々にしてあり、また、公にすべきことをせずじまいにしていったので、不信が募り、解任において手を挙げた、ということである。

大山総裁が生きておられた頃は、極真空手の月刊誌は『パワー空手』であったが、松井氏が館長になって、この分裂が起きてからは、その『パワー空手』は取りやめになり、代わって『ワールド空手』になっている。

その『ワールド空手』のインタビューによると、松井氏は、「私は降りるべきではないと思ってます。私を指名してくれた大山総裁。これまで私を支えてくれてきた人たちのためにも。」という内容のことを応えていたのを私は覚えている。

そして、以下のようにも応えていたのを覚えている。

「遺言書が捏造のものであることがわかったら私は降りる。」とも。

結局、支部長協議会派の「降りろ」という提案をのまずに、松井氏は館長職に就くことにこだわったようである。

しかしその時分裂した際に、興味深いと思ったのは、松井氏が1987年の世界大会において一緒に戦った日本人選手の同朋たちの動向であった。

その年の世界大会の松井氏以外の日本人選手は以下の選手たちであった。

増田章
八巻建志
小井義和
七戸康博
黒沢浩樹
木元正資
奥村幸一
桑島保浩
橋爪秀彦
緑健児
三明広幸
小笠原和彦
外館慎一
西山芳隆


一緒に戦った同朋たちだから、この日本人選手たちのほとんどが松井氏の側についただろうと思ったが、雑誌をみてびっくりした。

松井氏を支持して付いていったのは、黒沢浩樹、小笠原和彦、橋爪秀彦、西山芳隆4氏だけであった。

この分裂時に、緑健児七戸康博、増田章といった人たちが格闘技雑誌のインタビューで語っていたのは、「全国で半分以上の支部長たちが辞めてくれと言っているんです。だから松井先輩は辞めるべきです。」ということであった。

支部長協議会派のリーダ的存在であった三瓶啓二氏は、「別に松井君に極真から去れ、と言っているのではないのです。もう一度、支部長からやり直してこれまでのことを精算してほしいのです。」と言っていたのを思い出す。

緑健児も松井氏に、「松井先輩。もう一度支部長からやり直しましょう!」と進言したようだが、それを松井氏は聞き入れなかったようだ。


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    緑健児

そのように自分が館長として居続けることに固執した松井氏の心境は私には理解できない。

そのような大組織において長になることなど私は経験したことがなかったからだ。

しかし固執し館長を降りることを拒んだ松井氏には、館長として居続けたいという気持ちのほうが、「一緒に切磋琢磨して成長してきた先輩や同輩と一緒にやってこう!」という気持ちのほうが強かったのだろう。

私は、人との心の交流のほうが大事と考えているので、もし私が大組織の長になり、その運営方法に不満が出て、半分以上の人が私に「降りてくれ!」と言ってきたら私は降りるだろう。

しかし松井氏はそうしなかった。

決裂が決定的になった会議において、松井氏の先輩であった三好一男氏は、その時に暴言的な表現になってしまった松井氏に対し、 「何だ、その言い方は松井っ!!」と怒鳴ったといわれる。

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三好一男

縦社会の常として、その組織の長が死去などでいなくなると、必ずと言っていいほどの分裂が起きるのである。

ピラミッド型の組織で一番上の長がいなくなると、次期はその直下の人間がその組織の長になる。

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その次期の長が采配を振るうと必ず不満が出て、その改善を求める声が大きくなり、それでも不満が解消されることがなくなると、その長の役職からの辞退を下からなされ、それに受け入れられないとその長が、その職の辞退を受け入れられないで続けていくと、分裂をしてしまうのである。

この分裂劇の直後に、中根千枝という日本が誇る社会学者が書いた『タテ社会の人間関係』という本を読んだら、そこに書いてある内容とまったく同じことが極真会館に起こったので、私は、中根氏の分析力の鋭さに驚いたのである。




これは何も、極真会館だけの話しではなく、宗教、やくざ、プロレス団体、(茶や生け花などの)稽古事の団体を見れば共通して見れる現象である。

いろんな宗教を見てもわかる。

教祖が死去していなくなると、その次期の長になった人物のやり方、人格に疑問がもたれて、その団体に属す人たちの不満が鬱積して分裂してしまう。

こと仏教やキリスト教などを見れば、分裂分裂の繰り返しではないか。

大山総裁は、ワンマンなところがあったようである。

大山倍達
大山総裁

会議を経て決めるパターンも往々にしてあったが、会議を経るのが面倒ですぐに決定してしまいたいことはすぐに自分だけで決めてしまうことがあったようである。

『月刊パワー空手』の93年の某月号を見ると、大山総裁が、ロシアの支部長たちを集めた会議において、「ロシアは東西2つに分ける。文句がある人は出ていけ。」と言っているシーンがある。

それで、当時のロシアは2つに分けられた。

それでも、大山総裁に対する不満が鬱積しなかったのは、大山総裁が1代でこれまで極真を創ったから創始者であり、それだけ偉大な人であれば、「仕方がない」で終わってしまったのだろうと思う。

それにその決定も、やはり大山総裁はカリスマ的な存在であったから、多少の不満が出ても、それが表に出ないまま不満が心の中で鎮静して終わったのだと思う。

私も、大山総裁のこれまで書いてきた本の内容には非常に感銘を受け、極真会館での決定内容に全然不満も出なかったのが正直なところである。

また人情を非常に重んじるその人間的な魅力にも大いに惹かれていたのも事実である。

しかし、いくら松井章圭氏が、次期館長に大山総裁から指名されたとしても、極真会館を創始した人ではないから、そんな大山総裁のように振舞っては、そのワンマンぶりに全国支部長が不満を持たないはずはなく、やはりその内容に不満が鬱積していったのである。

分裂が、人間社会の歴史を俯瞰したタテ社会の必然であるからといって、無反省でいていいはずはないのである。

松井氏の反省すべき汚点として書かなければならないことは以下である。

94年に松井館長を中心とした体制になってからすぐに、北海道支部長の高木薫、千葉県北支部の手塚暢、福島県南支部の安斎友吉氏などの5氏支部長が除名になったのだ。

その理由は、高木氏は組織を煽動し組織を乱したため。

後の4氏は、支部長会議の招集があったにもかかわらず、これを拒否し、また前記の高木氏とも関係があったこともその理由とされている。

その5氏は、大山総裁の妻である智弥子氏を館長にして、また大山総裁の長女の夫と合流し、遺族派という名の派閥をつくることになる。

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右側が智弥子氏

しかし長年、極真会館の支部長として生計を立ててきた人たちを簡単に除名にしてしまって、その除名になった人たちはその後どう生活していけばいいのだろうか?

なぜそんなことも松井氏は考えないのか?と私は不思議で仕方なかったのである。

そして95年の分裂である。

95年の極真分裂の際に、いろんな支部長のインタビューが書かれていたが、その中で松島良一群馬支部長の言葉が印象に残った。

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  松島良一

「いろんな意味で松井君は急ぎましたね。松井君は館長に就任するなり5氏の支部長を事実関係もあいまいなままいとも簡単に除名にしました。

大山総裁も、生前は何人かの支部長を破門、除名にしましたが、その際も何回も支部長会議を開き、除名にするのを最後の最後までためらったものですよ。」

この言葉通り、組織の長に立つものとしての態度は大山総裁のようにふるまうのが当然と私は思うのである。

しかし松井体制ではいとも簡単に…。

私は、松井章圭氏の自叙伝である『わが燃焼の時』を読んだときに驚いたのは、松井氏が中学校時代は千葉北支部に所属していた。

その時の支部長が、94年に除名にした手塚暢氏だったのである。

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右側が手塚暢氏

その手塚暢氏を前に、何人かの道場生たちと一緒に松井氏がいる写真もその本に載っている。



そのページを見たときに、松井さんは自分が少年時にお世話になった先生をいとも簡単に除名にしたのか…!」と驚愕の思いに駆られたのである。

そのことについて今も松井派の最高顧問である郷田勇三氏に言わせれば、松井館長が1人で除名にしたわけではない。」ということを言っていたのを思い出す。

でも、その「自分のお世話になった人を除名にした」という心の咎めを書くべき、その思いを表明すべきだったのではないだろうかと思われてならなかったのである。

それが義理や人情を大事にする団体の長のすべき模範というものではないのか?

先の松島支部長の言葉通り、事実関係があいまいなまま強行採決のように採決したのが実情だったようである。

松島支部長は義理人情に厚い人であったことは間違いないようである。

その松島氏は、仲の良い桝田博茨城支部長とともに松井氏と決別し、除名になった5氏支部長たち遺族派と合流してウェイト制や全日本大会を開催していった。

だが、その後、残念ながら遺族派は分裂してしまった。

松島氏も自身の組織を作り『I.K.O極真会館松島派』を設立した。

そのホームページは以下である。
 ↓
http://www.kyokushin-matsushima.jp/

しかし手塚暢氏は、かつての自分の門下生に自分が除名されるとは夢にも思ってなかっただろう。

手塚氏は、遺族派分裂の後、『極真会館 手塚グループ』を設立する。

極真会館 手塚グループホームページ
http://極真空手.net/


分裂して時間がたつたびに焦りを感じざるを得なかった。

極真空手史上最強の外国人フランシスコ.フィリォ世界大会に出場する。

フィリョ
フランシスコ.フィリォ

そのフィリォは、その世界大会の前に行われた百人組手を無敗で完遂した。

もうこれは、全日本選手が一丸となって世界大会に臨まなければならない。

分裂なんかして世界大会を開催などしている暇などないだろう。

でも分裂して、世界大会もそれぞれの派での開催が決定。

松井氏と一緒に世界大会を戦った同朋のほとんどが反松井派になっていたということは、やはり松井氏の運営の内容に相当ストレスが溜まっていたのだということが予想される。

一緒に戦ったのなら、若干の不満があっても目をつむるものだがそうはならなかったということはやはり…。

支部長団体が分裂しても、大会は1つでやってもよかったのではないか?…そんな気がしたものだが。

94年に開催された全日本大会ベスト8に入賞した人物は無条件で世界大会に出場できることが決定されていた。

そのうち、城南支部からは八巻建志、数見肇、塚本徳臣、川原奈穂樹の4人が入賞。

城西支部からは市村直樹、岡本徹、吾孫子功二が入賞。

残りの谷川光だけが神奈川西支部出身だった。

全部の選手が、支部長協議会派の傘下の支部長の門下であった。

当初、城南支部の廣重毅支部長は、協議会派を支持していた。

しかし、フランシスコ.フィリォの師範である磯部清二が松井氏を支持し、松井派の世界大会で出場することが決定した。

それを聞いた八巻数見の2人がフランシスコ.フィリォと戦いたいことを表明し、そのことで、その2人の師匠である廣重毅支部長は、松井派と協議会派のどちらにも属さない中立の立場になることに決めた。

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  八巻建志

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  数見肇




それで八巻数見は、松井派の世界大会に出場することが決定した。

城西支部の分支部長であった三和純氏は、協議会派への支持を表明し、その門下であった岡本徹、吾孫子功二も同時に協議会派での出場を表明。

城南支部の分支部長であった入来武久協議会派への支持を表明。

その門下生であった塚本徳臣、川原奈穂樹も同時に協議会派での出場を表明した。

しかし思ったのは、分裂しても、自分の支部長が協議会派を支持しても、極真史上最強の外国人選手であるフランシスコ.フィリォが出場するということが決まれば、その大会だけでも、「自分はフランシスコ.フィリォの出る世界大会で出場したいです!」という男らしい気概を見せてほしかった、というのが私の思いであった。

日本人とは違って外国人は背が高い。

それに拮抗するような長身な選手がいたら、日本には有利になることは間違いない。

塚本、吾孫子の2人は、180センチを超える有力な選手だ。

そんな選手がいたら日本には有利になることは間違いない。

しかも、フランシスコ.フィリォの弟弟子である195センチもの長身であるグラウベ.フェイトーザも出場する。

そういう長身な選手なれば日本人選手が入賞しやすくなる。

しかしその2人の選手は…。

そして岡本徹は、その3年前から全日本選手権から出場し、3回連続してベスト4入りしている。

その動きと技の切れは一流である。

それでいて非常な試合巧者である。

その岡本徹がフィリォの出る大会に出場しないとは残念であった。

その私の思いは実際に松井派の世界大会が3日目になってから的中することになる。

これまでの世界大会においては、ベスト8に最低でも4人の日本人が入賞した。

しかし、この時の松井派の世界大会においてはたった3人で最悪の入賞者数であった。

やはり分裂などしていなければ…と思った。

岡本、我孫子、塚本といった選手たちが出ていれば、と誰しも思ったのではないだろうか。

しかし、この時の日本の面目は保たれた。

前回の世界大会以降、1敗すらもしていなかったフランシスコ.フィリォすらも日本の準エースである数見肇に全技をカウンターで合わされ、突破口を見いだせずに延長2回を戦い、試し割り判定で敗退したのだ。

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この試合に居合わせた私は超感動の渦に引き込まれ涙が出そうになったのである。

決勝で数見は八卷に敗れるが、準優勝

日本人が優勝できたのだ。

この時の世界大会を報道した『ワールド空手』の読者からのコメント欄には、松井館長を中心に極真はまわっていってほしい」という趣旨のコメントが数多く寄せられていたが、日本人が優勝できた、という感動に任せて冷静さを失ってはいけない、と思ったものである。

確かにあれだけの大きな大会を開催すること自体が素晴らしいが、それは何も松井氏が1人でしたことではないのは明白である。

しかも、大会を成功したと思わせる最大の理由は、頂点にたった八巻数見の2人ではないか。

特に史上最強の外国人のフィリォとその弟弟子のグラウべに勝った数見の功績のほうが何倍も高い。

松井氏のおかげではないことは間違いない。

そこを短絡的に考えてはいけないのだ。

その松井派の世界大会から2か月後の96年1月協議会派の世界大会が開催された。

驚くべきことにその大会ではベスト8に日本人が全部入ったのである。

日本人選手の層の厚さがうかがわれた大会であった。

こんなだったら、日本人選手たちは、もっと松井派の大会に出れば、ベスト8に3人だけということは避けれたのに、と思われてならなかった。

しかし、この時に不思議に思ったのは、大山総裁の妻である大山智弥子氏が、このときから協議会派の館長として就任していたのだ。

大山智弥子氏は、95年の遺族派の館長になった。

その遺族派と協議会派が反松井派として95年一緒になったがのちにまた分裂した。

その際に、協議会派の館長になった。

それで協議会派は大山派という名になったのだ。

その動向に私はコメントのしようがなかった。

しかしこの頃の分裂劇をどう考えるか、である。

この分裂劇に対し、増田章氏はその著『我、武人として生きる』の中で、松井章圭氏1人の責任ではない。」と書いてあるし、私もそう思う。



94年以降の松井氏の運営内容に不満をもって離れたのはもちろん多くいただろうし、不満はなくても大山総裁が生きておられた頃から、もともと松井氏に好意を持っていなかったがために、95年の分裂を好機に支部長協議会派がよかろうが悪かろうが関係なく松井氏から離れた、というパターンもあろうし、分支部長なら支部長にこれまで不満を持っていたがために、その支部長が松井派についたがために、分裂を機会にこれを好機に協議会派にいったという例もあろう。

大山総裁が生きておられたころの北海道の支部長であった高木薫氏は、松井氏に好意が持てなかった支部長の1人であり、松井氏総裁の陰口をたたいていた。大山総裁が話している間に、おしゃべりを平然とする人物であったということを批判的に書いている。

また海外の支部ならば、某国内の地方支部長が国を代表する支部長になれるという野望が沸いて協議会派についたというような例もあるだろう。

海外にいて日本国内の情報についてそんな知れない人たちが、松井氏の欠点を全部知る由はないのが普通であろう。

全部が全部松井氏に起因するわけでないことは間違いない。

しかし、ちょっと驚いたのは、リトアニアの代表選手として松井派の世界大会に出場していたタシンスカス.トーマスクラパタスカス.ポーリウスの2人が大山派の世界大会に出場していたのである。

松井派の世界大会からわずか2か月後にである。

すごい体力だなあと感心せずにおれなかった。

おそらく、松井氏があまりに日本人に有利すぎるトーナメントにしたからだろうとしか思えない。

日本人は全員2回戦からの出場だし、フィリォのいるブロックには、開催から前評判の高かったロシア、アフリカ、ヨーロッパのチャンピオンたちや上位入手者が勢ぞろいしている。

しかも外国人優勝最有力候補フィリォCブロックで、フィリォの弟弟子のグラウべDブロックに配置されている。

これは日本人が優勝するためとはいえやりすぎではないか、と思われて仕方なかった(笑)

たぶんあからさまな日本人に有利なトーナメント戦に怒りを覚え、リトアニアの支部長は大山派に支持を表明したのだろうと思われる。

それ以来、リトアニア大山派(のちの新極真会)の大会に出ることになる。

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その後の、新極真会においてドナタス.インブラスルーカス.クビリウスエドガー.セシンスキーといった強豪を生み出すことになる。

無事、世界大会が行われても2つの派は合流する兆しはなしで、全日本大会も別々で開催されることが決定した。

八巻数見松井派の世界大会で優勝と準優勝に輝いたこともあってか、その師匠である廣重毅師範は当初は中立を宣言していたが、その年から松井派に属していくことを表明した。

それから協議会派にいた5氏支部長も松井派に来ることを表明した。

その後、松井派は順調に内部の結束を固め、盤石になっていくかと思われた。

しかしその後を見ていくと決してそんなことはなかったようだ。

まずは、その次の年から、「本部会員登録制」なるものを発足させた。

これは、松井派に属する会員はすべてこの会員登録をしないといけないというもので、これをしないと松井派内での全部の試合に出れない、というものである。

これは空手に人生賭けていく人にとっては、試合に出れないとなると大変だから誰しも当然登録するだろう。

その会費は年1万円プラス消費税である。

これは大きな物議を醸しだした。

大山総裁の存命時には、このような会員制度などなくても極真会館を運営できたではないか、と古参の会員なら誰しも思っただろう。

私もこの制度はいぶかしいと思うのである。

そして、それから2002年に、最高顧問であった盧山初雄氏が、松井氏の所存で除名になったのである。

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     盧山初雄

その除名の理由であるが、当時の『ワールド空手』を読むと、どうやら松井章圭氏と意見が合わなくなったからだというのが見て取れた。

不埒なことを盧山師範がしたとか、金銭的なことで汚いことをしたということでもないようである。

ただ単に意見が合わなかった、それだけのことであった。

この時思ったのは、盧山師範松井氏の幼少時の元師匠だろう?そんな恩義ある人をそんな理由で除名にするのか…よくそんなことできるなぁ!」と私は松井氏の精神に疑いを大いに持ったものである。

それと同時に松井氏は本部会員登録制度に反対した水口敏夫岡山支部長を除名にしたのである。

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   水口敏夫

それも同時に私はかなりの程度訝しがったものである。

水口敏夫氏は、松井氏の元先輩である。

元師匠と元先輩を同時に除名にするとは…私は声が出なかった。

盧山師範が元師匠で、水口敏夫氏が元先輩で2人に多大な恩があるのは、松井氏の自叙伝である『わが燃焼の瞬間』を読めばわかる。




除名になった盧山師範『極真館』を設立し、その館長に就任した。

極真館ホームページ
http://www.kyokushinkan.org/japanese.htm

そして、水口氏『極眞會』を設立し、その館長に就任した。

極眞會ホームページ
http://kyokushinkarate.net/


こう見ると、95年の分裂劇の際に語った松島師範の言葉が思い出される。

「いろんな意味で松井君は急ぎましたね。松井君は館長に就任するなり5氏の支部長を事実関係もあいまいなままいとも簡単に除名にしました。

大山総裁も、生前は何人かの支部長を破門、除名にしましたが、その際も何回も支部長会議を開き、除名にするのを最後の最後までためらったものですよ。」


その松島代表も、その他新極真会にいった極真の古参の支部長たちも、「元師匠や元先輩を簡単に除名にするとは、松井のもとを去ってやはりよかった!」と、ほくそ笑んでいるだろう。

このことから、もう協議会派松井派が一緒になれない事由ができたなと思う。

その盧山師範と水口師範の除名処分に異議を唱えたが受け入れてもらえず、石川県支部長であった浜井識安氏松井派から離脱し、 『極真会館浜井派』を設立した。

極真会館浜井派ホームページ
https://www.kyokushin-hamai.com/


人の評価、たとえば政治家や首相や大統領になった人の評価は退任後10年以上たってから後世の学者によってなされるのが通常である。

しかし松井氏は、就任後から早くも10年もたたないうちに非人道的なことの数々をしてきた。

評価に値しない人物だ。

そこで持ち出さないといけないことは大山総裁の遺言書である。

大山総裁の急逝によって、梅田医院長によって急遽、遺言書の公表がマスコミに対して行われたのである。

その内容は、松井章圭氏を次代の館長にする、ということであった。

松井氏によってこれからの極真は進んでいくのか、と思い次の未来にわたって前途が開けた。

しかし、6月20日、大山総裁の次女である恵喜氏と三女の喜久子氏によって、突如記者会見が行われた。

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大山総裁をはさんで長女るいこ氏と恵喜氏

2人に言わせれば、松井氏を次期館長にするとは総裁から聞いていないし、代筆による遺言書は不完全であり、総裁自身の署名も捺印もなければ、口述を録音したテープもない。

遺言作成にはあまりに不明な点が多く、偽造の可能性が高い。

大山総裁の死因についても大きな懐疑を抱いている、
ということであった。

また智弥子夫人も、遺言書の内容はもちろん存在すら聞いていないという。

智弥子夫人曰く、「毎日私は、看病にいっていた。なのに私だけが聞いていないのは不思議です。

それに主人は、亡くなる前の日まで自分でトイレにいっていた。なのに遺言を自分で書かないなんて信じれない。」

遺言書を見ると、米津稜威雄(顧問弁護士)が大山総裁の言葉を聞いて代筆したことになっている。

その内容は、大山総裁の遺した自宅、土地、別荘は遺族が相続。

遺族には、極真会館がそれぞれ毎月100万円を支払う、
という内容であった。

しかし、毎月100万円が払われているのは、智弥子氏にだけであり、その他の遺族には支払われていないという。

また大山総裁の本の原稿料や印税も遺族側には払われていないという。

また大山総裁の葬儀の際の香典や、大山総裁がいつもお金をいっぱいに入れていたカバンがなくなっていたなど不審な点はいくらもあるという。

それに業を煮やし遺族側は、東京家庭裁判所に遺言書無効の申し立てをしたのは94年5月である。

そして東京家庭裁判所から、遺言書は無効の審判が下される。

松井側はその審判に異議を申し立て、告訴する。

96年10月に東京高等裁判所においても、遺言書は無効の審判が下される。

それにも松井側は、告訴する。

しかし、97年に、最高裁判所も、遺言書は無効の審判が下される。

こういう経緯であったのだ。

遺言者は無効であるということになれば、松井氏の動向が気になるところであったが、結局松井氏は館長を降りることはなかったのである。

その時とった行為は、池袋3丁目にあった本部道場を明け渡しただけ。

新たに2丁目に新会館をたててそこの館長として居座り続けているのである。

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   新会館

これはやはり、それまで自分を支えてくれた国内支部長たちや、海外支部長たちに対する考慮だったかもしれない。

遺言書は最高裁でも無効になったが、「松井を私の後継にする。」と直接大山総裁から言われた支部長の数は多いのだ。

でも、旧会館を明け渡しただけでは遺族側の心のうちはまだまだ納得いかないだろう。

事実、完全なる和解ができていないからこそ、旧会館には、大山総裁の三女である喜久子氏が、館長として就任し、そこの運営をしているのだ。

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  喜久子氏

そのホームページが以下である。
  ↓
http://www.mas-oyama.com/


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 旧会館

こうなるなら、松井氏が館長になるのではなく、喜久子氏が館長になったらよかったのではないか、と思われてならない。

血のつながりのある人物が就任すれば、たとえちょっとの不満があっても分裂などしないものだ。

血のつながりのない人が、次期館長になるから違うことをするだけで、ワンマンぶりをするだけで不満がおこって分裂してしまうのだ。

事実、芦原会館は、芦原英幸亡き後、息子の英典が継いでも分裂していない。

ピーターチャン、ボビーロー、ケニーウーテンボガード、磯部清二などアジア、アメリカ、アフリカ、南米地区の主要な支部長たちに、大山総裁は、自分の後継を松井にする、と伝えたようで、それを忠実になるべく、これらの支部長たちは松井氏を支持し、全部松井派についていった。

大山派を支持した国の支部長たちは、分支部長レベルの人たちであった。

しかし、松井派からは選手たちの離脱者が多いのが実情である。

池田雅人(飛鳥道場を設立)、
ニコラスぺタス(ニコラスぺタス道場を設立)、
木村靖彦(極真連合会に移籍)、
洪汰星(極真連合会に移籍)
長野義徳(新極真会に移籍)
金森俊宏(新極真会に移籍)
etc

その他、遺言において立ち会った1人である梅田嘉明氏も、松井体制に不満をもって松井派から脱退してしまったのである。

梅田氏は、分裂直後の6月に有明コロシアムでおこなわれた全日本ウェイト制大会の大会フィナーレにおいて大山総裁の遺言書はだれが何と言おうと真実であります。」と宣誓したのである。

その梅田氏すらも抜けてしまったとは、もう松井派はもうズタズタではないか…と思われて仕方ないのである。

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  梅田嘉明

それのみか、世界大会第2回、第3回と連覇した中村誠師範は、大山総裁が入院している際に大山総裁から呼ばれて、「後継は松井にするからよろしく頼む。」と言われたことでも有名である。

あの分裂の際に、半分以上の支部長が松井氏から離れていった際にも毅然として松井側についたのも、その言伝ゆえになのである。

中村誠師範は、総本部出身で、そこでともに切磋琢磨してライバル同士であった三瓶啓二氏とともに、全日本大会世界大会の決勝で何回も戦ったのである。

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  三瓶 VS  中村

ライバルであり無二の親友であった。

その2人の互いを称えあうインタビュー対談すらも雑誌で催されたほどである。

その三瓶啓二氏支部長協議会派にいっても、大山総裁の遺言に忠実であることを選び、松井氏についたのである。

最近、ネットで、極真会館について調べている際に知ったのには、その中村誠師範すらも松井派から脱退し、中村道場」なる団体を設立していたことを知って私は驚いた。

中村道場のホームページ
http://www.nakamuradojo.com/


中村誠師範も情に厚い人なのだろうと思う。

本部時代の先輩である盧山師範が松井氏によって除名にされたことになっても、心のつながりを意識していたのだろう。

自分の自由になる道場を持ってから、盧山師範と提携をして、大会をしても極真館の選手も参加できるようになったようである。

その大会告知のページが以下である。
  ↓
http://www.kyokushinkan.org/news.html?itemid=931


松井派の世界大会において、当初日本代表選手の指導を、廣重毅氏が務めたが、廣重毅氏は、兄弟子の盧山初雄師範が松井氏から除名され極真館を設立し、自分も極真館にいったので後継として中村誠師範が、その役を務めたが、その中村誠氏も脱退してしまったとは、なんと松井派は主要な人物が抜けてしまうのか!と驚愕の思いにとらわれざるを得ない。

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  廣重毅

極真館設立に際し、盧山初雄師範の弟弟子であった湖山彰夫山陰支部長も当然、極真館にいった。

そんな魅力のない団体になり下がってしまったのである松井派は。

95年の極真分裂劇の後、いろんな地区本部が設けられ、それぞれに本部長が就いた。

その内容は以下である。

東北地区本部  関川博明
東関東地区本部 廣重毅
北関東地区本部 盧山初雄
西関東地区本部 山田雅稔
東中部地区本部 浜井良明
西中部地区本部 浜井識安
東関西地区本部 川畑幸一
西関西地区本部 中村誠
中国地区本部  湖山彰夫
四国地区本部  高見成昭
北九州地区本部 河岡博實
南九州地区本部 中村満雄

この体制で当初は発動したが、いろんな本部長が辞めたり、除名になったりしたために、残っているのは以下である。


東北地区本部  関川博明
東関東地区本部 廣重毅
北関東地区本部 盧山初雄
西関東地区本部 山田雅稔
東中部地区本部 浜井良明
西中部地区本部 浜井識安
東関西地区本部 川畑幸一
西関西地区本部 中村誠
中国地区本部  湖山彰夫
四国地区本部  高見成昭
北九州地区本部 河岡博實
南九州地区本部 中村満雄

横線があるのが、本部長がいなくなったところだが、本部がなくなった数が実に半数以上である。

実に悲劇以外何物でもない。

当然、いなくなった後に別の人物が就いているのは言うまでもないが、しかしこんな数の本部長がいなくなるとは信じれないし、いかに松井氏松井体制に魅力がないのがわかる。

空手家のみならず、松井氏を、分裂後から補助してきたジャーナリストである小島一志氏でさえも、もう反松井派になってしまっている。

また、松井派においては、少年部や壮年部の人たちは素手素足での試合はできた話ではないから当然パンチグローブやサポーターをつけないといけない。

そのグローブやサポーターも本部公認の物を買って着けないと試合に出れないという規則になったというから呆れてものが言えない。

しかも手による顔面攻撃がない極真空手の試合において、マウスピースなど不要である。

にもかかわらず、本部公認のマウスピースをつけないと試合に出れないというからもっとあきれてものが言えない。

その額、約1万円だという。

マウスピースなど、スポーツショップに行けば2000円くらいが通常である。

安いものでは600円で手に入る。

それなのにこの額…信じれない!

私は松井氏に金の亡者がとりついているとしか考えれないのである。

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私は極真の分裂の後、極真空手の組織をつぶさに観察してきた結果、思ったのは、やはりあの同朋たちの忠言通り、松井氏は館長職を辞任すべきであったと思われてならない。

しかし、巨大な組織の長に一度就いたら辞められないものなのかなあ?と疑問に思う。

お家騒動はやはり昔からある。

偉大な長が亡くなる、あるいはその職を辞任した後に、そのあとに就いた人間のやり方に不満を持つ者が多く出て、ついに辞任を迫るも、そのあとに就いた者がそれを受け入れられずにそのまま就き続け、それが不満になって組織は分裂。

しかし、分裂を乗り越えてまた1つの鞘に戻るという例は歴史を紐解けば、いくつか例がある。

非常に稀有な手腕をもった長の後を継いだ後継者が非常に手腕のレベルが低く、どうにもいかなくなり、家臣の忠言を聞き、潔く退任し、円満なまま終了という例もある。

また、そのまま就任したままでうまくいかなくなりその団体は崩壊という例もある。

そのような道を松井派は歩むのではないかと思われて仕方ない。

大山総裁の妻である千弥子氏を館長にして大山派だが、その千弥子夫人が高齢を理由に館長職を辞退してからは、イニシアティブは三瓶啓二氏が中心に握っていくことになる。

その運営内容に不満をもった西田幸夫、増田章、桑島保寛、七戸康博などが大山派からの離脱を表明し、『極真連合会』を設立する。

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西田幸夫

その『極真連合会』は、その後、名を変えて『一般社団法人 極真会館』という名に変更した。

そのホームページは以下。
 ↓
http://www.kyokushin-kaikan.or.jp/

あまりに分裂を繰り返すのにうんざりし、大山派だった長谷場譲氏はどこにも属さない自分の極真空手の団体を設立。

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   長谷場譲

やはり先の、タテ社会の分裂劇をおさらいすると、組織の長がいなくなるとやはり分裂をしてしまうのだ。

大山派は、千弥子氏を館長(頂点の人物)にした。

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しかし、その頂点の人物がいなくなると、その次期の長が采配を振るうと下の人たちの不満が鬱積してやめていくのだ。

その構図は大山派にも当てはまるのだ。

極真は1つに纏められるかなあと思ったが、ついに2003年、大山派は、『新極真会』と名を変えていくことを街のポスターで知った。

そのポスターを見たときに、「ああもう纏れることはないな!」と私は諦めた。

松井派は極真の中で一番大きな団体であるとは間違いない。

大山総裁が「松井を後継者にする!」と直接に伝えられた海外の多くの主要な支部長たちに伝えたということもあり、付いた支部長の数は多いゆえに、世界大会においても3日間敢行できている。

新極真会2日間の開催である。

しかし2016年の全日本大会においては、2日目にても、2階席にも多くの観客が埋まっていた。

しかし、松井派の全日本大会では、2階席には人が1人もいないのがわかった。

これは、世界大会で日本人が優勝できて数人の日本人が入賞したということもあろうが、組織内部の人事について多くの普通の会員すらもその腐敗状況がネット等から分かってきて、そこにいるのにためらいを感じるようになったのではないかと思われて仕方ないのである。

当たり前である。

本部会員登録や、本部公認のサポーターなど不必要なお金がかかる。

主要な師範がつまらない理由で辞めさせられる。

または主要な師範が組織に失望して辞める。

その数がかなり多い。

そんな組織にいつまでも属したいと思うほうがおかしいのではないだろうか?

私は絶対に松井派では修行したいとは思わないのである。

組織をビジネス化して、会員を金儲けの手段にすることを大山総裁は、一番嫌っていたのである。

その一番嫌っていたことを松井氏は平然とこなして、巨万の富を得ているのである。

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超高級マンションに住み、いくら財産があるのかわからない。

大山総裁は、書いた本が世界中で売られ、世界中の支部からお金が入ってきても、それを自分の懐に入れないで、さらに多くの支部を作るのに何のためらいもなく出したようである。

大山総裁の口座には、死後3000万円しかないことが分かったのだ。

松井氏とは全然違う。

こういう人間像であると見抜いていたので大山総裁は松井氏を後継にしたのだと思うが、自分が館長につくや否や、そういう人間性が逆転してしまったようで、大山総裁の見込みとはまるで違う人物になってしまったようである。

まるで魅力のない人物に…。

違う人間だから、やり方や思想が違うのは致し方ないし、大山総裁と全く同じようにせよとは言わない。

97年フランシスコ.フィリォグラウベ. フェイトーザニコラス.ぺタスなどがK-1参戦をした時、大山派の人間から大きく批難が出されたが、私はそれくらいはいいと思う。

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しかし、人道から外れたことを平然とこなすことは誰もが解せないはずである。

自分の元師匠や元先輩を平然と除名にするなんて言うことは全くもって私は解せないし、同じ思いでいる人は多くいるだろう。

それに2016年松井派の全日本大会を見たら、私は失望した。

その大幅なルール改定にである。

この大会から、上段に蹴りが当たって顔がちょっと動き、そこで決めのポーズをとればそれで技ありになってしまうようになったのだ。

別に効いてもいないのにである。

これは寸止め空手に毛の生えたようなものである。

格闘技とはとても思えないものになってしまった。

もちろん武道でもない。

非常に魅力のないものになってしまった。

それに、松井氏をネットで検索すると、いくらでも批判が書かれているが、緑健児を検索にかけると全然批判が書かれていないのである。

やはり賢人にとことん近い人物なのだろうと思う緑健児は。

新極真会は当初、代表の在任期間は8年と定められていたが、それを過ぎても就任し続けているのはやはり正統性が緑氏にあるのだと思う。

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松井氏94年からの主導方法を見て、その失敗を経験理論として学び、それを繰り返すことはしないと学んだことも大きいのだろうとは思う。

それでもやはり松井派のように、主要な師範をつまらない理由で辞めさせるとか、支部長が組織に失望して辞めるということが新極真会ではないのだ。

ましてや不必要な物を会員に買わせるなどということは更にない。

そういう意味で新極真会松井派よりも魅力的に映るのは私だけであろうか?

松井氏は館長に就任してからは、お金まみれ、無反省の人生であったと感じるのは私だけであろうか?

あなたはどう感じるか、感想を書いてほしい。

極真分裂の経緯を簡潔に書いてある本として以下の本を紹介したい。
   ↓



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『第1回世界大会に学ぶ成功理論?』

こんにちは。

前回の続きをしましょう。

極真会館の第1回世界大会は、日本人選手が技術的に最先端を行っていたので、優勝から8位までの入賞者の中で6人日本人が占めたということです。

外国人の中では、下段蹴りの防御の仕方がわからず、ただ蹴られるまましかなかったというパターンもあったということを知って私は驚きました。

その時の描写をこの大会優勝者の佐藤勝昭氏の自叙伝から引用しましょう。

「外人はローキックに対して、全く対策というものを考えてなかった。

だから実際にくらってみて、うろたえる者が多い。

まともに受けたりせいぜい足を引いてしのぐだけだ。」

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また、試し割りについても意識は「これで勝とう」という意識がなかったということでした。

優勝候補と目されたアメリカのウィリーウィリアムスハワードコリンズ(英国)の対戦で、コリンズが延長2回の末、試し割り判定で勝つと、俄然試し割りにも意識が行くようになったということですね。

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ウィリーウィリアムス

そのことについても佐藤勝昭氏の自叙伝を引用しましょう。

「戦いの気持ちは本戦の中にあり、勝つために試し割りの枚数を稼ぐという気持ちはなかった。

この試合をみて、試合の内容以外の試し割りの枚数で勝負がつくということもある、ということが強く認識されるようになった。」


実力が拮抗していればそう簡単に判定で勝つこともできなくなるわけですし、ましてや一本を取ることも難しくなるわけです。

その後は、体重判定や試し割りというルールがあるわけですから、そのルールを最大限認識して、自分が勝てるように利用しなくてはならない、ということですね。

単に、試合だけを考えているだけでは上位に上がれない、ということですね。

打ち合いの試合で勝てればいい、という慢心を捨てて、ブラジルの磯部師範は、フィリォに計何枚割れと諭して、見事優勝することができたのです。

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それのみならず、外国の選手は、日本でおこなわれるために、自国からきて時差ぼけにならないように、そこも調整しなくてはならない、ということも認識された大会でした。

時差ボケにならないように、フィリォは1週間以上前に日本にきて調整していたといいますし、第8回世界大会(松井派)で準優勝したセルゲイプレカノフ(ロシア)は、日本と気候が同じウラジオストックに出稽古にいって体を慣らしたといいます。

そこまで生活を優勝に向けることでようやく勝つことができるのですね。

ことは国内の試合でも同様でしょう。

しかし、第1回世界大会の時は、アメリカが外国として最強国であったことを、佐藤氏の本を読んで改めて認識し驚愕の思いにさせられました。

日本人選手団が実際にアメリカまで二度足を運んで、出稽古までしに行ったというから驚きでした。

全日本の王者になった佐藤氏ですら、アメリカの大将格のチャールズに完敗を喫したということもまた驚きでした。

そのチャールズとのスパーリングの描写を以下、引用したいと思います。

「いきなり襲ってきたのはやはり強烈な胸板突きであった。

中村師範の「始め!」の声を聞くや否や、床をけって突っ込んできたチャールズの右ストレート。

最初のアメリカ遠征の時は、これをまともに食らっては膝から崩れ、立ち上がって何秒かのちに今度はパンチに見せかけての右ローキックで軸足を払われ、あえなくも私の体は床にたたきつけられていたのだった。」

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佐藤勝昭

全日本王者にまでなった人をこんなにもたやすく倒してしまうとは、何たるレベルの高さだったのでしょうか!

しかし、これにめげずに佐藤氏はじめ日本人選手団は、これから必死になって日本人が優勝するという使命でもって猛稽古に励むと誓ったのでした。

佐藤氏は、チャールズに敬意を払いながら、以下のように言ったといいます。

チャールズ、私は君に、実力、人間性、どれをとってもかなわない。

君は私の前に立ちふさがる大きな分厚い壁だ。

しかし、世界大会まであと六か月、これから日本に帰って日に七、八時間、私は猛烈に稽古する。

そうすれば必ず、この壁を突き破ることができると思う。

私は君を目標にする、君も世界大会で頑張ってくれ。」

と敬意を最大限に表明しながらも、敵意を燃やすところに熱いものを感じますね。

その佐藤氏のみならず、日本人選手団は猛稽古して、闘志を燃やし、見事佐藤勝昭氏優勝するのですね。

当のチャールズは準々決勝で盧山初雄氏延長2回の接戦の末に敗れ、7位で終わるのでした。

努力が半年で実ることもあるということも心に銘記しておいたほうがいいでしょう。

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今回はこれにて失礼いたします。

ありがとうございました。

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『ルールは最大限利用しないと勝てない?』

こんにちは。

前回、世界大会(松井派)において初めて外国人として王者になったフランシスコフィリォ数見肇の試合を描写しました。

ブラジル
フランシスコフィリォ

2人が決勝延長2回を終わり、判定がだされ、全員が引き分けにしたら、ブラジルのセコンド陣全員が、大声をあげてガッツポーズして、フィリォと数見の2人が体重計に向かう時には、フィリォの勝利を確信し、互いに抱き合って、飛び上がって喜んでいたことを書きました。

しかし、あなたがこういう場にいて、ガッツポーズで喜び、はしゃいで祝福できる人がいるでしょうか?

また、自分がそういうことをしてもらえるかどうか確信できますでしょうか?

確かに、自分が属す支部と同じならば、必然的にそういう感情がわきますが、あんなにはしゃいで祝福してもらえるには、その人物を相当に好きでなければできた話ではないですね?

そういう気にさせてしまったフィリォは多くの人から好かれていたのでしょう。

横柄な態度で、人に命令し、人を貶すような人だったら、祝福どころかセコンドにもついてもらえなかったでしょうね。

いつも笑顔で接し、人に優しく自分に厳しい、そして礼儀は非常に正しい。

そして人の成功を心から喜べる。

こうでなくては、はしゃいで喜ぶなどということはできた話しではないですね。

空手家たるもの人格的にも立派でなくてはいけないのは言うまでもありません。

そういう人間を目指しましょう!

今回は、勝つためにはすべての面を強化しましょう、ということで話しましょう。

ことは第1回世界大会に話を移しましょう。

この時の最強国はアメリカだったのですね。

ウィリー、オリバー、チャールズの3人が最強だったようです。

あまりの強さに日本人の世界大会代表選手団が、10人くらいがアメリカに渡って偵察をかねて修行をしに行ったのです。

日本のみならず、ジャマイカプエルトリコからも修行者が多くいたようです。

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このことからも当時のアメリカ極真の強さが伺われますね。

そして迎えた世界大会の描写をこの時チャンピオンになった佐藤勝昭氏の自叙伝から引用しましょう。

まずはウィリーウィリアムスから。

wiry
ウィリーウィリアムス


ウィリーは、左パンチやハイキックで圧倒した。

倒せはしなかったが、完全に優勢であった。

しかし、この時のウィリーは私が知っているウィリーではなく、かつてのニューヨーク大山道場で私と死闘を演じた時の迫力は感じれなかった。

ウィリーが控室に戻るとき、軽いビッコを引いているのが分かった。

普段のウィリーからは考えれないことである。

たぶん、ウィリーは調整失敗したのだと思う。

そして、オリバーの描写は以下です。

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この時のオリバーは、何かエネルギーの高まりが感じれない。

私が最初のアメリカ遠征の時にさんざん痛めつけられたあのオリバーとはまるで別人のようだった。

たぶん時差ぼけや調整失敗などでコンディションが悪く、その上会場の大観衆に気圧されていたのかもしれない。

時々華麗でスピードのある飛び後ろ回し蹴りを出すが、空を切ることが多い。

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しかし私としては、オリバーと何回も対戦して、その切れ味の鋭さを熟知していた。

この時のオリバーは本調子ではなかった。」

オリバーは、軽量の選手でしたが、その体重がハンデとなって、イスラエルの超重量級の選手に圧倒されて敗北するのです。

たぶん、世界大会に日本にいって対戦する、ということが初めてで、まさか時差ぼけするなどとは思ってなかったのでしょう。

そういう経験値がなかったために、調整失敗をしてそれが原因で敗退ということになったのかもしれないですね。

さらにウィリーは、2日目に、イギリスの強豪であるハワードコリンズ延長2回を戦い決着がつかず、試し割り判定で敗れるのです。

2日目の最初に試し割りが行われます。

その時の佐藤勝昭氏の描写が以下です。

「やろうと思えば何枚にでも挑戦できないわけではなかったが、試し割りで決着がつくとは思わなかった。

それよりもこんなところで怪我でもしたらつまらないという思いが先に立ったと思う。

ということです。

やはり空手は当初、一撃必殺を標榜していたので、その意識よろしく相手を倒すことを主眼に誰もが稽古していました。

しかしレベルが上がって、両者の実力が拮抗してくると必殺ではすまない。

一本勝ちはそうそうできるものではないです。

どうしても判定や試し割りにまでもつれ込むようになってしまうのは致し方ないことですね。

しかしそういうことを考えてまで大会に臨む人は少なかったようです。

ウィリーも試し割りで、やろうと思えばやることはできたでしょう。

しかし、試し割り判定まで考えずにないで試合に臨み、思いのほか相手が実力あって倒せない。

それで延長を繰り返し、ついに試し割りで涙をのむことになったのです。

この経験から、日本人はもちろん外国人の誰もが試し割りにも余念なく修練の一環として取り組むようになったのは言うまでもありません。

第6回世界大会(松井派)で、フランシスコフィリォの師匠である磯部師範は、

「試し割りにあまり意識を向けるな。試合で勝つことに意識を集中しろ!」といい、フィリォはそんなに意識して取り組まなかったようで、それでも22枚もの枚数を割ったのです。

しかし、数見肇はそれを上回る24枚を割ったのです。

数見
数見肇

それがあだとなって、フィリォ準決勝において数見と対戦し、試し割り判定で敗れるのです。

これから教訓を得て、「組手で倒せばいい」という慢心は捨て、ルールをとことん有利にするように利用して勝つことに決めたようで、それから4年後世界大会では、試し割りにも注意して鍛錬を重ね、それが功を奏して決勝で数見を今度は試し割り判定で破り見事優勝するのです。

もちろん、自分が試し割りで勝っているからと言って、肝心の組手で流すようなことをしていては勝てないことはお断りしておきます。

試し割りで勝っていることが思い起こされ、手を抜いてしまったがために判定で敗れた、という経験談は枚挙にいとまがありません。

大会が日本でおこなわれるために、自分の国から行って大会前何日前に行けば時差ぼけが治り自分の実力が最大限発揮できるか、ということをつぶさに探求し、自分の体重や実力からいって試し割りでは計何枚が最大限割れるか、そのためには日々どのような稽古をすべきかといったつぶさな探求を生活上でしていくような時代になっていたということですね。

ルールを完璧に把握し、そのためにはどうすればいいかを日々行動していかなくてはならないようです。

先に紹介したオリバーウィリーのような失敗はもう外国人はしないようです。

あなたが試合で勝ちたいなら、ルールを完全に把握し、自分が勝つためには日々どういう稽古やトレーニングをすればいいかを研究し、それを行動に移さなくてはいけません。

コンディションも最高の状態にするためにはどうすればいいかも同様です。

参考にしてくださいませ。

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今回はこれにて失礼いたします。

ありがとうございました。

あき


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今多くの話題を集めている酵素ドリンクですが、何故ここまで酵素が注目を集めているかと言えば、まずはダイエットですね!

この酵素は、食べたものを分解してくれる働きがあるからです。{ルンルン}

 しかし、この酵素は、人間の体内では生成されません。

 ですから、それを補う必要があるのです。

何から?

 生の野菜や果物、そして刺身などですね。

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生の野菜や果物、そして刺身には酵素が含まれていますから、こういうものを摂ることがダイエットには大事なのです。

 しかし、こういったものに熱を加えると48℃で酵素は死んでしまいます。

 ですから生のものが大事なのです。


 加熱したものは分解されないで脂肪になりますから、摂りすぎないことが大事なのです。

 僕の知っているかたで、会社の食堂では必ず刺身の丼物かお寿司を食べている人がいます。

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 太りたくないからですね。

 もう1つの注目されている理由は、やはり野菜や果物に含まれる酵素の量の減少ですね。

 人口が多くなるにつれ、やはり大きな農場で大量に野菜や果物を育てなくてはいけません。

ですが、そうなると農作物につく害虫が多くなります。

 すると、どうしても農薬を大量にかけなくてはいけません。

すると、どうしてもミネラルや酵素の量が少なくなってしまいます。

 ですから、充分な酵素を摂るためには野菜や果物を摂るだけではいけないのです。{バイバイ}

 ですから、昨今はこういったものを補う意味で、サプリメントが流行っているのです。

 昔は、薬局でしか買えなかった栄養補給ドリンクも、今は国が許可を出して、コンビニでも出せるようになりました。

ですから、ダイエットにも健康にもサプリメントは現代人には不可欠なのです。

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『運の良かった実力者?』

運のつけ方として、いろんな面からこれまで論じてきました。

単に、稽古を積み重ねるというだけでなく、


道着、サーポーター、自分の体、自分の部屋すべてをきれいにしておく。

大きな声で元気よく話す。

心に怒りや、妬みを抱えない。

オカルトにはまらない。

人を絶対に貶さずに誉める。


こういう日常での生活を見直し、行動を矯正するということが大事であるということを話しました。

まず、そのことに共感してもらえたようで嬉しい限りでした。

今回は、第7回世界大会(松井派)で外国人選手として初めて優勝したフランシスコフィリォについて話していこうと思います。

ブラジル
フランシスコフィリォ

彼は、第5回世界大会の4回戦であのアンディフグ一本勝ちを収め、次の5回戦で八巻建志に敗れベスト16どまりで終わりましたが、それから猛稽古を重ね、その八巻に敗れて以来1敗もすることなく、4年を迎えました。

その次の世界大会の前におこなわれた百人組手では、1敗もすることなく完遂。

俄然、優勝候補最右翼と目されて第6回世界大会を迎えました。

4回戦、5回戦ともに日本人相手に全く寄せ付けずに完勝

準々決勝でも全ヨーロッパ大会のチャンピオンに技ありをとって完勝するのです。

しかし、迎えた準決勝で、あの数見肇氏に、全技をカウンターで合わされて何もすることができずに、延長2回を戦い試し割り判定負けするのです。

それでもめげずに、稽古を続け、K-1などにも参戦し活躍を見せ、依然優勝候補として第8回世界大会に臨むのです。

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やはり、その時も優勝候補としての威厳は充分にあり、その威勢をかって順調に勝ち進んでいました。

この大会で優勝したのは周知のことですが、彼に運が向いていたと思える事情があったことは否定できませんでした。

まず、日本のエースの数見肇氏は、私は1回戦から見ていましたが、足の状態がおかしいのがわかりました。

右足が何か重たそうで、しかもその足で蹴るときに、渾身で蹴っていないのが見て取れました。

この大会が終わってからのインタビューで知ったのですが、やはり彼はこの足を骨折に近い状態で大会を迎え、3回戦でこの足による1本勝ちの代償に骨折をしていたのです。

しかし数見氏も、そんな状態でよくも勝ち上がったなと、感心せざるを得なかったです。

4回戦も1本勝ち、5回戦、準々決勝で対日本人対決はともに超重量級選手ですが、いずれも完勝するのです。

準決勝は、フィリォの弟弟子のグラウべフェイトーザに延長1回判定勝ちを収めて決勝進出するのです。

そして、フィリォ数見による決勝でした。

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前回の準決勝以来、両者再びまじえる

体重に差はない。

4回戦開始の前におこなわれた試し割りで勝っていることが分かっているフィリォはそんなに攻めていきません。

後ろに下がって、機をうかがい、時折変則の上段蹴りで数見をたじろがせます。

そういう技を出すと印象がいいので、印象を悪くした数見は、接近戦に持ち込もうとするも、フィリォのパワーは強くそんなに懐には入らせません。

同じような展開が延長においても繰り返され、延長2回もう後がない数見は自分からラッシュをかけますが、やはり相手は歴戦の勇士フィリォ、技を纏めさせません。

決定打はなく延長2回終了。

主審の「判定!」の声で判定を促すも、全員引き分け。

その直後、ブラジルのセコンドは全員大声をあげてガッツポーズ!

フィリォ数見の2人が体重計に向かう時には、フィリォの勝利を確信し、互いに抱き合って、飛び上がって喜んでいる。

その風景をみて、私は「ちきしょーっ!奴らフィリォの優勝を確信してやがる。数見が敗れたか…そんな。」と無念でした。

アナウンスが告げられ、体重に差はなく、試し割りでフィリォの優位が告げられると、フィリォ優勝が決まってしまいました。

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この試し割りが勝敗を分けた

この無念の敗北から4年越しで、日本のエースに昇格した木山仁がこの時の無念を晴らしてくれたのです!

この大会のフィリォには運が向いていたなと思える事項が2つありました。

1つは、日本の最右翼の数見肇が大会前から両足を怪我していたこと。

もう1つは、準決勝において、相手がウォーミングアップできなかったこと。

この2つを見ると、勝利の女神がフィリォに微笑んでくれていた、ということですね。

準決勝の相手は、ロシアのアレクサンダーピッチュクノフでした。

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アレクサンダーピッチュクノフ


この時、ピッチュクノフは茶帯でしたが、3回戦で全日本ウェイト制重量級を連覇した志田清之に判定勝ち、4回戦は参加選手中最重量のタリエルビターゼに一本勝ち、5回戦は全日本大会準優勝の田村悦宏に体重判定勝ち、準々決勝は全ヨーロッパ大会優勝経験のあるニコラスぺタスに一本勝ちを収めるのです。

このままいったらピッチュクノフが優勝するんではないか?と思われるに充分な勝ちっぷりでした。

しかし、準決勝を迎えて、ピッチュクノフフィリォ相手に失速するのです。

試合後のこの大会をリポートした雑誌によると、ピッチュクノフが準決勝を迎える前に、ロシアチームのみんなは、試合前におこなわれた演武に見惚れて、ピッチュクノフが熟睡していたのに起こすことを忘れてしまっていて、誘導係が来た時に慌てて彼を起こし、彼はウォーミングアップ不足のまま試合に臨んでしまった、ということでした。

それでは、まともな試合ができるはずもなく、いいところなくピッチュクノフは敗れてしまうのです。

こういうところを見ると、やはりフィリォは運に見舞われていた、ということができますね。

ただ運がいいだけでなく実力を備えるべくとことん稽古に励んでいたということは間違いありません。

ただ、それだけでなく、日常生活においても勝利を得るべく行動していた、ということが言えます。

もう一度確認しておきましょう。

運を得るためには、


道着、サーポーター、自分の体、自分の部屋すべてをきれいにしておく。

大きな声で元気よく話す。

心に怒りや、妬みを抱えない。

オカルトにはまらない。

人を絶対に貶さずに誉める。


こういうことが日常でできているのです。

フィリォを知る知人に言わせれば、全部に当てはまるようです。

運を得たいと考えているならば、こういう先人たちの理論を学び行動に移しましょう。

参考にしてくださいませ。

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興味のある方はどうぞ!

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今回はこれにて失礼いたします。

ありがとうございました。

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