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『忘れられてはならない偉業その3』

こんにちは。

前回は、昔の偉業を忘れ去られそうな空手家について書きました。

前回2回とも極真会館松井派の選手を紹介しましたので、今回は、新極真会の選手について話したいです。

それはヴァレリーディミトロフですね。

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ヴァレリーディミトロフ

2015年世界大会において、塚本徳臣が征遠鎮の型から蹴りによるバット折りの演武を披露しました。

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前回の世界大会の優勝者として。

この時私が思ったのは、「世界大会優勝者として、ヴァレリーディミトロフもこのように演武を披露することもできたはずだよな…」ということですね。

しかし、そのようにはならなかったですね。

この人は、2003年世界大会(新極真会)が、この人の日本デビューだったのですね。

この時は、全ヨーロッパ大会中量級準優勝という実績を掲げての参戦でした。

ヴァレリーは、この大会であれよあれよという間に5回戦を突破してベスト8入りしました。

その後、対戦したのは塚本徳臣だったのですね。

塚本選手は、それまでは順調に手堅く相手を降してきたのですが、その対ヴァレリー戦では、ヴァレリーの頑強な体と攻撃力にうまくいかず、攻めあぐねていました。

また、踵で下段蹴りをするヴァレリー特有の技である下段かかと蹴りで、足を痛めているようでした。

そこへ、ヴァレリーの中段突きが次々に刺さり、ついに塚本選手は体を前のめりに折って、後退し技あり。

再開し、同じような展開でまた中段突きで技あり。

技あり2本で合わせ1本勝ちヴァレリーが勝利しました。

この大会中、最大の番狂わせと言われたのがこの試合でした。

この次の準決勝戦で、対戦した逢坂祐一郎との攻防でも順調にいってましたが、蹴りをヴァレリーが出したときに、変な角度で逢坂選手の膝に当たり、ヴァレリーは戦闘不能の怪我を負ってしまったのです。

これで逢坂選手の一本勝ち。

次の3位決定戦で棄権し、ヴァレリー選手4位に終わるのです。

しかし初出場で4位

しかもかつてこの大会で優勝した塚本選手に一本で勝ったので、内容は上々だといっていいでしょう。

その対戦から6年後、ワールドカップの重量級の決勝で、ヴァレリー塚本の対戦が再び実現するのです。

塚本選手は、前の対戦では、突きで効かされて敗北しましたが、ヴァレリーの得意技は全般的にいいので、またも塚本選手は攻めあぐねてしまっていたのです。

vere vs tuka
2たび塚本を降すヴァレリー

その非積極性が響いて、塚本選手は判定負け。

ヴァレリーに連続で敗北を喫してしまったのです。

このブログでも前に紹介したように、公にされない選手たちにしかわからない事情というものはたくさんあるのです。

やはりこの時も塚本選手には本人にしかわからない事情があったのだと思います。

この時は、早くも準々決勝で、かつて世界大会で準優勝になったドナタス.インブラスと対戦し、これに勝つも多大なダメージを負っていたのは間違いないでしょう。

しかしそういったダメージも含めてのトーナメント戦なので、ドナタスに勝ったからといって入賞の順位が変わるわけはないのです。

そのラッキーな部分を持っていたからこそこの対戦でも制することができたのです。

このワールドカップの半年後の、全日本大会で塚本選手は優勝。

そして、次の年の全日本大会でも塚本選手優勝

しかし、ヴァレリーには2回連続で敗北。

この事実から、今度こそヴァレリーが世界大会で優勝するのでは?

とだれもが思ったのではないでしょうか?

それで迎えた、2011年世界大会ヴァレリーは出場し、順調に2日目にまで進出するのです。

迎えた5回戦で対戦したのは島本雄二でした。

島本選手は、この大会には、この年の全日本ウェイト制重量級優勝者としての出場でした。

しかしその実績でも、ヴァレリーには負けていたのは事実でした。

しかし島本選手は、敢然と攻めていって決して後退しませんでした。

vere vs
島本 VS ヴァレリー

それどころか、ヴァレリーを少しながら後退させる場面も見せ一進一退の攻防でした。

決定打はなく、延長2回が終了。

体重に差はなく、試し割りでまさった島本選手が、ベスト8入りするのです。

当時29歳だったヴァレリーでしたが、引退することなく、敢然と選手を続け、対島本戦から2年後のワールドカップに出場し、その島本選手は準決勝でルーカス.クビリウスと対戦し、圧倒的パワーの差を見せつけられ、まるで大人と子供くらいの試合で大差判定で負けてしまったのです。

しかし、ヴァレリーは、そのルーカスを手堅く降し優勝するのです。

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ルーカスを降すヴァレリー

この後も、前の塚本選手と同じような道をたどり、島本選手は全日本大会で優勝し、日本のエースになるのです。

しかし、またもヴァレリーは世界大会で、外国人の最右翼として出場しますが、日本の伏兵前田勝汰の敢然とした攻撃に突破口を見いだせず、延長2回を戦い判定負けするのです。


そして、自分がワールドカップで優勝した時3位になった島本がその世界大会で優勝するのです。

その後のヴァレリーの動向はよくわかりません。

今年、ワールドカップ改め世界ウェイト制が開催されますが、そのポスターにヴァレリーが映ってますが、果たして彼が出場するのかどうかも分かりません。

2015年の世界大会に放送のナレーションによると、新極真会では、「ユースジャパン」という会が発足し、若手で有望な選手にエリート教育を施すことがなされていたようですが、その理念は、塚本選手の跡を継ぐ人間を育てる」ということでした。

その塚本選手を、外国人選手で、しかも2回も連続して降した記録は、ヴァレリーディミトロフこの人しかいません。

優勝候補に挙げられていたにも関わらず、2011年と2015年と連続して入賞すらも逃してしまったがために、その偉業は忘れ去られてしまったようですが、その偉業がなくなることはないのです。

しかしマスコミは非情で、そういうことを放送しないままに終わってしまい、優勝者準優勝者にばかりスポットが当たってしまうのです。

しかし、ヴァレリーの偉業は忘れてはならないのです。

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ヴァレリーのみならず、空手を生業にしている人ならば、自分の同輩後輩が伸び悩んでいたら、そういう過去に偉業を持ち出して励ます、それが大事なのではないでしょうか?

そのことで伸び悩んでいるひとが復活する兆しにできたらこれに勝る喜びはないでしょう。

そのことを今回は強調して終わりにしたいと思います。

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極真分裂の20年間を振り返る。

2015年新極真会の世界大会において、日本人の島本雄二優勝した。

相手は同じ日本の入来建武であった。

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2015年 世界大会決勝(島本雄二 VS 入来建武)

世界大会の決勝が日本人同士…これこそがやはり望ましい世界大会のフィナーレであろう。

しかし、極真会館松井派は世界大会において、日本人が優勝できずに終わってしまった。

日本人でベスト8に入ったのは2人のみでいずれも準々決勝での敗退であった。

新極真会が優勝し、松井派はならず。

なれば、この2つの団体が一緒になれば日本が王座を取り返せるのではないか、と考える人がいても不思議ではない。

2つの団体が一緒になるという話ではないが1999年、極真会館の松井派の世界大会において、フランシスコフィリォが決勝戦で日本の数見肇を試し割り判定で破り、極真史上初の外国人王者が誕生したとき、2つの団体が対抗戦、つまり1999年の松井派の世界大会で優勝したフランシスコフィリォを含めた外国人と新極真会の日本人の対抗戦をしようという提案が、極真会館(三瓶啓二代表、今の新極真会)から松井派へ出されたことがあったのだ。

外国人が世界大会で優勝することはあってはならなかったので、それが実際に起きてしまった。

それならば、対抗戦をやって日本の威信を取り戻そうという意見が出されても無理はない。

フランシスコフィリォが優勝した同じ1999年において、極真会館(三瓶啓二代表)の世界大会では、日本の岡本徹がドイツのムザファーバカックを決勝で破り、日本の威信を守った。


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    岡本徹

しかし、松井章圭氏はこの提案を退け、以後、外国人が優勝すること3回にわたるが、以後このような提案が新極真会から出されることはなくなっている。

先に岡本徹が日本の威信を守ったと書いたが、以後、新極真会の世界大会において危なげない展開になった年もあったが、いずれも日本人が優勝できている。

しかし、極真会館が分裂して2015年で20年になる。

極真会館の創始者である大山倍達総裁が、94年4月26日に肺がんで逝去され、大山総裁の遺言により、後継者を第4回世界大会優勝者であり当時本部直轄浅草道場責任者であった松井章圭が継ぐことになった。

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   松井章圭

その年の全日本ウェイト制大会全日本大会は無事に執り行われ、この大会で日本代表選手がまず8人が決定し、年が明けてから次の年のウェイト制で日本代表選手が決定するので楽しみだな、と期待が持てた。

しかし、95年4月5日に全国支部長協議会において松井章圭氏の館長を解任が可決されたのである。

それは、

極真会の私物化
独断専行
不透明な経理処理

が解任の理由とされ、全国の48の支部のうち38の支部長が解任に賛成したのである。

こうなれば当然松井氏は退くべきであると思うが、それを松井氏は不服として退け、そのまま館長を維持継続していくことを決意。

それが不満で、協議会派は松井氏と袂を分かち、別々のウェイト制全日本大会、世界大会を催していくことになる。

私は支部長ではなかったし、その内容や経緯については詳細には知る由がないので長いコメントは避けたいが、個々の支部長のたちの雑誌のコメントを読んでみると、とにかく松井氏は、会議を開かずに1人で決めていったことが往々にしてあり、また、公にすべきことをせずじまいにしていったので、不信が募り、解任において手を挙げた、ということである。

大山総裁が生きておられた頃は、極真空手の月刊誌は『パワー空手』であったが、松井氏が館長になって、この分裂が起きてからは、その『パワー空手』は取りやめになり、代わって『ワールド空手』になっている。

その『ワールド空手』のインタビューによると、松井氏は、「私は降りるべきではないと思ってます。私を指名してくれた大山総裁。これまで私を支えてくれてきた人たちのためにも。」という内容のことを応えていたのを私は覚えている。

そして、以下のようにも応えていたのを覚えている。

「遺言書が捏造のものであることがわかったら私は降りる。」とも。

結局、支部長協議会派の「降りろ」という提案をのまずに、松井氏は館長職に就くことにこだわったようである。

しかしその時分裂した際に、興味深いと思ったのは、松井氏が1987年の世界大会において一緒に戦った日本人選手の同朋たちの動向であった。

その年の世界大会の松井氏以外の日本人選手は以下の選手たちであった。

増田章
八巻建志
小井義和
七戸康博
黒沢浩樹
木元正資
奥村幸一
桑島保浩
橋爪秀彦
緑健児
三明広幸
小笠原和彦
外館慎一
西山芳隆


一緒に戦った同朋たちだから、この日本人選手たちのほとんどが松井氏の側についただろうと思ったが、雑誌をみてびっくりした。

松井氏を支持して付いていったのは、黒沢浩樹、小笠原和彦、橋爪秀彦、西山芳隆4氏だけであった。

この分裂時に、緑健児七戸康博、増田章といった人たちが格闘技雑誌のインタビューで語っていたのは、「全国で半分以上の支部長たちが辞めてくれと言っているんです。だから松井先輩は辞めるべきです。」ということであった。

支部長協議会派のリーダ的存在であった三瓶啓二氏は、「別に松井君に極真から去れ、と言っているのではないのです。もう一度、支部長からやり直してこれまでのことを精算してほしいのです。」と言っていたのを思い出す。

緑健児も松井氏に、「松井先輩。もう一度支部長からやり直しましょう!」と進言したようだが、それを松井氏は聞き入れなかったようだ。


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    緑健児

そのように自分が館長として居続けることに固執した松井氏の心境は私には理解できない。

そのような大組織において長になることなど私は経験したことがなかったからだ。

しかし固執し館長を降りることを拒んだ松井氏には、館長として居続けたいという気持ちのほうが、「一緒に切磋琢磨して成長してきた先輩や同輩と一緒にやってこう!」という気持ちのほうが強かったのだろう。

私は、人との心の交流のほうが大事と考えているので、もし私が大組織の長になり、その運営方法に不満が出て、半分以上の人が私に「降りてくれ!」と言ってきたら私は降りるだろう。

しかし松井氏はそうしなかった。

決裂が決定的になった会議において、松井氏の先輩であった三好一男氏は、その時に暴言的な表現になってしまった松井氏に対し、 「何だ、その言い方は松井っ!!」と怒鳴ったといわれる。

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三好一男

縦社会の常として、その組織の長が死去などでいなくなると、必ずと言っていいほどの分裂が起きるのである。

ピラミッド型の組織で一番上の長がいなくなると、次期はその直下の人間がその組織の長になる。

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その次期の長が采配を振るうと必ず不満が出て、その改善を求める声が大きくなり、それでも不満が解消されることがなくなると、その長の役職からの辞退を下からなされ、それに受け入れられないとその長が、その職の辞退を受け入れられないで続けていくと、分裂をしてしまうのである。

この分裂劇の直後に、中根千枝という日本が誇る社会学者が書いた『タテ社会の人間関係』という本を読んだら、そこに書いてある内容とまったく同じことが極真会館に起こったので、私は、中根氏の分析力の鋭さに驚いたのである。




これは何も、極真会館だけの話しではなく、宗教、やくざ、プロレス団体、(茶や生け花などの)稽古事の団体を見れば共通して見れる現象である。

いろんな宗教を見てもわかる。

教祖が死去していなくなると、その次期の長になった人物のやり方、人格に疑問がもたれて、その団体に属す人たちの不満が鬱積して分裂してしまう。

こと仏教やキリスト教などを見れば、分裂分裂の繰り返しではないか。

大山総裁は、ワンマンなところがあったようである。

大山倍達
大山総裁

会議を経て決めるパターンも往々にしてあったが、会議を経るのが面倒ですぐに決定してしまいたいことはすぐに自分だけで決めてしまうことがあったようである。

『月刊パワー空手』の93年の某月号を見ると、大山総裁が、ロシアの支部長たちを集めた会議において、「ロシアは東西2つに分ける。文句がある人は出ていけ。」と言っているシーンがある。

それで、当時のロシアは2つに分けられた。

それでも、大山総裁に対する不満が鬱積しなかったのは、大山総裁が1代でこれまで極真を創ったから創始者であり、それだけ偉大な人であれば、「仕方がない」で終わってしまったのだろうと思う。

それにその決定も、やはり大山総裁はカリスマ的な存在であったから、多少の不満が出ても、それが表に出ないまま不満が心の中で鎮静して終わったのだと思う。

私も、大山総裁のこれまで書いてきた本の内容には非常に感銘を受け、極真会館での決定内容に全然不満も出なかったのが正直なところである。

また人情を非常に重んじるその人間的な魅力にも大いに惹かれていたのも事実である。

しかし、いくら松井章圭氏が、次期館長に大山総裁から指名されたとしても、極真会館を創始した人ではないから、そんな大山総裁のように振舞っては、そのワンマンぶりに全国支部長が不満を持たないはずはなく、やはりその内容に不満が鬱積していったのである。

分裂が、人間社会の歴史を俯瞰したタテ社会の必然であるからといって、無反省でいていいはずはないのである。

松井氏の反省すべき汚点として書かなければならないことは以下である。

94年に松井館長を中心とした体制になってからすぐに、北海道支部長の高木薫、千葉県北支部の手塚暢、福島県南支部の安斎友吉氏などの5氏支部長が除名になったのだ。

その理由は、高木氏は組織を煽動し組織を乱したため。

後の4氏は、支部長会議の招集があったにもかかわらず、これを拒否し、また前記の高木氏とも関係があったこともその理由とされている。

その5氏は、大山総裁の妻である智弥子氏を館長にして、また大山総裁の長女の夫と合流し、遺族派という名の派閥をつくることになる。

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右側が智弥子氏

しかし長年、極真会館の支部長として生計を立ててきた人たちを簡単に除名にしてしまって、その除名になった人たちはその後どう生活していけばいいのだろうか?

なぜそんなことも松井氏は考えないのか?と私は不思議で仕方なかったのである。

そして95年の分裂である。

95年の極真分裂の際に、いろんな支部長のインタビューが書かれていたが、その中で松島良一群馬支部長の言葉が印象に残った。

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  松島良一

「いろんな意味で松井君は急ぎましたね。松井君は館長に就任するなり5氏の支部長を事実関係もあいまいなままいとも簡単に除名にしました。

大山総裁も、生前は何人かの支部長を破門、除名にしましたが、その際も何回も支部長会議を開き、除名にするのを最後の最後までためらったものですよ。」

この言葉通り、組織の長に立つものとしての態度は大山総裁のようにふるまうのが当然と私は思うのである。

しかし松井体制ではいとも簡単に…。

私は、松井章圭氏の自叙伝である『わが燃焼の時』を読んだときに驚いたのは、松井氏が中学校時代は千葉北支部に所属していた。

その時の支部長が、94年に除名にした手塚暢氏だったのである。

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右側が手塚暢氏

その手塚暢氏を前に、何人かの道場生たちと一緒に松井氏がいる写真もその本に載っている。



そのページを見たときに、松井さんは自分が少年時にお世話になった先生をいとも簡単に除名にしたのか…!」と驚愕の思いに駆られたのである。

そのことについて今も松井派の最高顧問である郷田勇三氏に言わせれば、松井館長が1人で除名にしたわけではない。」ということを言っていたのを思い出す。

でも、その「自分のお世話になった人を除名にした」という心の咎めを書くべき、その思いを表明すべきだったのではないだろうかと思われてならなかったのである。

それが義理や人情を大事にする団体の長のすべき模範というものではないのか?

先の松島支部長の言葉通り、事実関係があいまいなまま強行採決のように採決したのが実情だったようである。

松島支部長は義理人情に厚い人であったことは間違いないようである。

その松島氏は、仲の良い桝田博茨城支部長とともに松井氏と決別し、除名になった5氏支部長たち遺族派と合流してウェイト制や全日本大会を開催していった。

だが、その後、残念ながら遺族派は分裂してしまった。

松島氏も自身の組織を作り『I.K.O極真会館松島派』を設立した。

そのホームページは以下である。
 ↓
http://www.kyokushin-matsushima.jp/

しかし手塚暢氏は、かつての自分の門下生に自分が除名されるとは夢にも思ってなかっただろう。

手塚氏は、遺族派分裂の後、『極真会館 手塚グループ』を設立する。

極真会館 手塚グループホームページ
http://極真空手.net/


分裂して時間がたつたびに焦りを感じざるを得なかった。

極真空手史上最強の外国人フランシスコ.フィリォ世界大会に出場する。

フィリョ
フランシスコ.フィリォ

そのフィリォは、その世界大会の前に行われた百人組手を無敗で完遂した。

もうこれは、全日本選手が一丸となって世界大会に臨まなければならない。

分裂なんかして世界大会を開催などしている暇などないだろう。

でも分裂して、世界大会もそれぞれの派での開催が決定。

松井氏と一緒に世界大会を戦った同朋のほとんどが反松井派になっていたということは、やはり松井氏の運営の内容に相当ストレスが溜まっていたのだということが予想される。

一緒に戦ったのなら、若干の不満があっても目をつむるものだがそうはならなかったということはやはり…。

支部長団体が分裂しても、大会は1つでやってもよかったのではないか?…そんな気がしたものだが。

94年に開催された全日本大会ベスト8に入賞した人物は無条件で世界大会に出場できることが決定されていた。

そのうち、城南支部からは八巻建志、数見肇、塚本徳臣、川原奈穂樹の4人が入賞。

城西支部からは市村直樹、岡本徹、吾孫子功二が入賞。

残りの谷川光だけが神奈川西支部出身だった。

全部の選手が、支部長協議会派の傘下の支部長の門下であった。

当初、城南支部の廣重毅支部長は、協議会派を支持していた。

しかし、フランシスコ.フィリォの師範である磯部清二が松井氏を支持し、松井派の世界大会で出場することが決定した。

それを聞いた八巻数見の2人がフランシスコ.フィリォと戦いたいことを表明し、そのことで、その2人の師匠である廣重毅支部長は、松井派と協議会派のどちらにも属さない中立の立場になることに決めた。

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  八巻建志

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  数見肇




それで八巻数見は、松井派の世界大会に出場することが決定した。

城西支部の分支部長であった三和純氏は、協議会派への支持を表明し、その門下であった岡本徹、吾孫子功二も同時に協議会派での出場を表明。

城南支部の分支部長であった入来武久協議会派への支持を表明。

その門下生であった塚本徳臣、川原奈穂樹も同時に協議会派での出場を表明した。

しかし思ったのは、分裂しても、自分の支部長が協議会派を支持しても、極真史上最強の外国人選手であるフランシスコ.フィリォが出場するということが決まれば、その大会だけでも、「自分はフランシスコ.フィリォの出る世界大会で出場したいです!」という男らしい気概を見せてほしかった、というのが私の思いであった。

日本人とは違って外国人は背が高い。

それに拮抗するような長身な選手がいたら、日本には有利になることは間違いない。

塚本、吾孫子の2人は、180センチを超える有力な選手だ。

そんな選手がいたら日本には有利になることは間違いない。

しかも、フランシスコ.フィリォの弟弟子である195センチもの長身であるグラウベ.フェイトーザも出場する。

そういう長身な選手なれば日本人選手が入賞しやすくなる。

しかしその2人の選手は…。

そして岡本徹は、その3年前から全日本選手権から出場し、3回連続してベスト4入りしている。

その動きと技の切れは一流である。

それでいて非常な試合巧者である。

その岡本徹がフィリォの出る大会に出場しないとは残念であった。

その私の思いは実際に松井派の世界大会が3日目になってから的中することになる。

これまでの世界大会においては、ベスト8に最低でも4人の日本人が入賞した。

しかし、この時の松井派の世界大会においてはたった3人で最悪の入賞者数であった。

やはり分裂などしていなければ…と思った。

岡本、我孫子、塚本といった選手たちが出ていれば、と誰しも思ったのではないだろうか。

しかし、この時の日本の面目は保たれた。

前回の世界大会以降、1敗すらもしていなかったフランシスコ.フィリォすらも日本の準エースである数見肇に全技をカウンターで合わされ、突破口を見いだせずに延長2回を戦い、試し割り判定で敗退したのだ。

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この試合に居合わせた私は超感動の渦に引き込まれ涙が出そうになったのである。

決勝で数見は八卷に敗れるが、準優勝

日本人が優勝できたのだ。

この時の世界大会を報道した『ワールド空手』の読者からのコメント欄には、松井館長を中心に極真はまわっていってほしい」という趣旨のコメントが数多く寄せられていたが、日本人が優勝できた、という感動に任せて冷静さを失ってはいけない、と思ったものである。

確かにあれだけの大きな大会を開催すること自体が素晴らしいが、それは何も松井氏が1人でしたことではないのは明白である。

しかも、大会を成功したと思わせる最大の理由は、頂点にたった八巻数見の2人ではないか。

特に史上最強の外国人のフィリォとその弟弟子のグラウべに勝った数見の功績のほうが何倍も高い。

松井氏のおかげではないことは間違いない。

そこを短絡的に考えてはいけないのだ。

その松井派の世界大会から2か月後の96年1月協議会派の世界大会が開催された。

驚くべきことにその大会ではベスト8に日本人が全部入ったのである。

日本人選手の層の厚さがうかがわれた大会であった。

こんなだったら、日本人選手たちは、もっと松井派の大会に出れば、ベスト8に3人だけということは避けれたのに、と思われてならなかった。

しかし、この時に不思議に思ったのは、大山総裁の妻である大山智弥子氏が、このときから協議会派の館長として就任していたのだ。

大山智弥子氏は、95年の遺族派の館長になった。

その遺族派と協議会派が反松井派として95年一緒になったがのちにまた分裂した。

その際に、協議会派の館長になった。

それで協議会派は大山派という名になったのだ。

その動向に私はコメントのしようがなかった。

しかしこの頃の分裂劇をどう考えるか、である。

この分裂劇に対し、増田章氏はその著『我、武人として生きる』の中で、松井章圭氏1人の責任ではない。」と書いてあるし、私もそう思う。



94年以降の松井氏の運営内容に不満をもって離れたのはもちろん多くいただろうし、不満はなくても大山総裁が生きておられた頃から、もともと松井氏に好意を持っていなかったがために、95年の分裂を好機に支部長協議会派がよかろうが悪かろうが関係なく松井氏から離れた、というパターンもあろうし、分支部長なら支部長にこれまで不満を持っていたがために、その支部長が松井派についたがために、分裂を機会にこれを好機に協議会派にいったという例もあろう。

大山総裁が生きておられたころの北海道の支部長であった高木薫氏は、松井氏に好意が持てなかった支部長の1人であり、松井氏総裁の陰口をたたいていた。大山総裁が話している間に、おしゃべりを平然とする人物であったということを批判的に書いている。

また海外の支部ならば、某国内の地方支部長が国を代表する支部長になれるという野望が沸いて協議会派についたというような例もあるだろう。

海外にいて日本国内の情報についてそんな知れない人たちが、松井氏の欠点を全部知る由はないのが普通であろう。

全部が全部松井氏に起因するわけでないことは間違いない。

しかし、ちょっと驚いたのは、リトアニアの代表選手として松井派の世界大会に出場していたタシンスカス.トーマスクラパタスカス.ポーリウスの2人が大山派の世界大会に出場していたのである。

松井派の世界大会からわずか2か月後にである。

すごい体力だなあと感心せずにおれなかった。

おそらく、松井氏があまりに日本人に有利すぎるトーナメントにしたからだろうとしか思えない。

日本人は全員2回戦からの出場だし、フィリォのいるブロックには、開催から前評判の高かったロシア、アフリカ、ヨーロッパのチャンピオンたちや上位入手者が勢ぞろいしている。

しかも外国人優勝最有力候補フィリォCブロックで、フィリォの弟弟子のグラウべDブロックに配置されている。

これは日本人が優勝するためとはいえやりすぎではないか、と思われて仕方なかった(笑)

たぶんあからさまな日本人に有利なトーナメント戦に怒りを覚え、リトアニアの支部長は大山派に支持を表明したのだろうと思われる。

それ以来、リトアニア大山派(のちの新極真会)の大会に出ることになる。

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その後の、新極真会においてドナタス.インブラスルーカス.クビリウスエドガー.セシンスキーといった強豪を生み出すことになる。

無事、世界大会が行われても2つの派は合流する兆しはなしで、全日本大会も別々で開催されることが決定した。

八巻数見松井派の世界大会で優勝と準優勝に輝いたこともあってか、その師匠である廣重毅師範は当初は中立を宣言していたが、その年から松井派に属していくことを表明した。

それから協議会派にいた5氏支部長も松井派に来ることを表明した。

その後、松井派は順調に内部の結束を固め、盤石になっていくかと思われた。

しかしその後を見ていくと決してそんなことはなかったようだ。

まずは、その次の年から、「本部会員登録制」なるものを発足させた。

これは、松井派に属する会員はすべてこの会員登録をしないといけないというもので、これをしないと松井派内での全部の試合に出れない、というものである。

これは空手に人生賭けていく人にとっては、試合に出れないとなると大変だから誰しも当然登録するだろう。

その会費は年1万円プラス消費税である。

これは大きな物議を醸しだした。

大山総裁の存命時には、このような会員制度などなくても極真会館を運営できたではないか、と古参の会員なら誰しも思っただろう。

私もこの制度はいぶかしいと思うのである。

そして、それから2002年に、最高顧問であった盧山初雄氏が、松井氏の所存で除名になったのである。

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     盧山初雄

その除名の理由であるが、当時の『ワールド空手』を読むと、どうやら松井章圭氏と意見が合わなくなったからだというのが見て取れた。

不埒なことを盧山師範がしたとか、金銭的なことで汚いことをしたということでもないようである。

ただ単に意見が合わなかった、それだけのことであった。

この時思ったのは、盧山師範松井氏の幼少時の元師匠だろう?そんな恩義ある人をそんな理由で除名にするのか…よくそんなことできるなぁ!」と私は松井氏の精神に疑いを大いに持ったものである。

それと同時に松井氏は本部会員登録制度に反対した水口敏夫岡山支部長を除名にしたのである。

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   水口敏夫

それも同時に私はかなりの程度訝しがったものである。

水口敏夫氏は、松井氏の元先輩である。

元師匠と元先輩を同時に除名にするとは…私は声が出なかった。

盧山師範が元師匠で、水口敏夫氏が元先輩で2人に多大な恩があるのは、松井氏の自叙伝である『わが燃焼の瞬間』を読めばわかる。




除名になった盧山師範『極真館』を設立し、その館長に就任した。

極真館ホームページ
http://www.kyokushinkan.org/japanese.htm

そして、水口氏『極眞會』を設立し、その館長に就任した。

極眞會ホームページ
http://kyokushinkarate.net/


こう見ると、95年の分裂劇の際に語った松島師範の言葉が思い出される。

「いろんな意味で松井君は急ぎましたね。松井君は館長に就任するなり5氏の支部長を事実関係もあいまいなままいとも簡単に除名にしました。

大山総裁も、生前は何人かの支部長を破門、除名にしましたが、その際も何回も支部長会議を開き、除名にするのを最後の最後までためらったものですよ。」


その松島代表も、その他新極真会にいった極真の古参の支部長たちも、「元師匠や元先輩を簡単に除名にするとは、松井のもとを去ってやはりよかった!」と、ほくそ笑んでいるだろう。

このことから、もう協議会派松井派が一緒になれない事由ができたなと思う。

その盧山師範と水口師範の除名処分に異議を唱えたが受け入れてもらえず、石川県支部長であった浜井識安氏松井派から離脱し、 『極真会館浜井派』を設立した。

極真会館浜井派ホームページ
https://www.kyokushin-hamai.com/


人の評価、たとえば政治家や首相や大統領になった人の評価は退任後10年以上たってから後世の学者によってなされるのが通常である。

しかし松井氏は、就任後から早くも10年もたたないうちに非人道的なことの数々をしてきた。

評価に値しない人物だ。

そこで持ち出さないといけないことは大山総裁の遺言書である。

大山総裁の急逝によって、梅田医院長によって急遽、遺言書の公表がマスコミに対して行われたのである。

その内容は、松井章圭氏を次代の館長にする、ということであった。

松井氏によってこれからの極真は進んでいくのか、と思い次の未来にわたって前途が開けた。

しかし、6月20日、大山総裁の次女である恵喜氏と三女の喜久子氏によって、突如記者会見が行われた。

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大山総裁をはさんで長女るいこ氏と恵喜氏

2人に言わせれば、松井氏を次期館長にするとは総裁から聞いていないし、代筆による遺言書は不完全であり、総裁自身の署名も捺印もなければ、口述を録音したテープもない。

遺言作成にはあまりに不明な点が多く、偽造の可能性が高い。

大山総裁の死因についても大きな懐疑を抱いている、
ということであった。

また智弥子夫人も、遺言書の内容はもちろん存在すら聞いていないという。

智弥子夫人曰く、「毎日私は、看病にいっていた。なのに私だけが聞いていないのは不思議です。

それに主人は、亡くなる前の日まで自分でトイレにいっていた。なのに遺言を自分で書かないなんて信じれない。」

遺言書を見ると、米津稜威雄(顧問弁護士)が大山総裁の言葉を聞いて代筆したことになっている。

その内容は、大山総裁の遺した自宅、土地、別荘は遺族が相続。

遺族には、極真会館がそれぞれ毎月100万円を支払う、
という内容であった。

しかし、毎月100万円が払われているのは、智弥子氏にだけであり、その他の遺族には支払われていないという。

また大山総裁の本の原稿料や印税も遺族側には払われていないという。

また大山総裁の葬儀の際の香典や、大山総裁がいつもお金をいっぱいに入れていたカバンがなくなっていたなど不審な点はいくらもあるという。

それに業を煮やし遺族側は、東京家庭裁判所に遺言書無効の申し立てをしたのは94年5月である。

そして東京家庭裁判所から、遺言書は無効の審判が下される。

松井側はその審判に異議を申し立て、告訴する。

96年10月に東京高等裁判所においても、遺言書は無効の審判が下される。

それにも松井側は、告訴する。

しかし、97年に、最高裁判所も、遺言書は無効の審判が下される。

こういう経緯であったのだ。

遺言者は無効であるということになれば、松井氏の動向が気になるところであったが、結局松井氏は館長を降りることはなかったのである。

その時とった行為は、池袋3丁目にあった本部道場を明け渡しただけ。

新たに2丁目に新会館をたててそこの館長として居座り続けているのである。

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   新会館

これはやはり、それまで自分を支えてくれた国内支部長たちや、海外支部長たちに対する考慮だったかもしれない。

遺言書は最高裁でも無効になったが、「松井を私の後継にする。」と直接大山総裁から言われた支部長の数は多いのだ。

でも、旧会館を明け渡しただけでは遺族側の心のうちはまだまだ納得いかないだろう。

事実、完全なる和解ができていないからこそ、旧会館には、大山総裁の三女である喜久子氏が、館長として就任し、そこの運営をしているのだ。

kikukaiGRP_0029.jpg
  喜久子氏

そのホームページが以下である。
  ↓
http://www.mas-oyama.com/


kyuukaiGRP_0019.jpg
 旧会館

こうなるなら、松井氏が館長になるのではなく、喜久子氏が館長になったらよかったのではないか、と思われてならない。

血のつながりのある人物が就任すれば、たとえちょっとの不満があっても分裂などしないものだ。

血のつながりのない人が、次期館長になるから違うことをするだけで、ワンマンぶりをするだけで不満がおこって分裂してしまうのだ。

事実、芦原会館は、芦原英幸亡き後、息子の英典が継いでも分裂していない。

ピーターチャン、ボビーロー、ケニーウーテンボガード、磯部清二などアジア、アメリカ、アフリカ、南米地区の主要な支部長たちに、大山総裁は、自分の後継を松井にする、と伝えたようで、それを忠実になるべく、これらの支部長たちは松井氏を支持し、全部松井派についていった。

大山派を支持した国の支部長たちは、分支部長レベルの人たちであった。

しかし、松井派からは選手たちの離脱者が多いのが実情である。

池田雅人(飛鳥道場を設立)、
ニコラスぺタス(ニコラスぺタス道場を設立)、
木村靖彦(極真連合会に移籍)、
洪汰星(極真連合会に移籍)
長野義徳(新極真会に移籍)
金森俊宏(新極真会に移籍)
etc

その他、遺言において立ち会った1人である梅田嘉明氏も、松井体制に不満をもって松井派から脱退してしまったのである。

梅田氏は、分裂直後の6月に有明コロシアムでおこなわれた全日本ウェイト制大会の大会フィナーレにおいて大山総裁の遺言書はだれが何と言おうと真実であります。」と宣誓したのである。

その梅田氏すらも抜けてしまったとは、もう松井派はもうズタズタではないか…と思われて仕方ないのである。

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  梅田嘉明

それのみか、世界大会第2回、第3回と連覇した中村誠師範は、大山総裁が入院している際に大山総裁から呼ばれて、「後継は松井にするからよろしく頼む。」と言われたことでも有名である。

あの分裂の際に、半分以上の支部長が松井氏から離れていった際にも毅然として松井側についたのも、その言伝ゆえになのである。

中村誠師範は、総本部出身で、そこでともに切磋琢磨してライバル同士であった三瓶啓二氏とともに、全日本大会世界大会の決勝で何回も戦ったのである。

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  三瓶 VS  中村

ライバルであり無二の親友であった。

その2人の互いを称えあうインタビュー対談すらも雑誌で催されたほどである。

その三瓶啓二氏支部長協議会派にいっても、大山総裁の遺言に忠実であることを選び、松井氏についたのである。

最近、ネットで、極真会館について調べている際に知ったのには、その中村誠師範すらも松井派から脱退し、中村道場」なる団体を設立していたことを知って私は驚いた。

中村道場のホームページ
http://www.nakamuradojo.com/


中村誠師範も情に厚い人なのだろうと思う。

本部時代の先輩である盧山師範が松井氏によって除名にされたことになっても、心のつながりを意識していたのだろう。

自分の自由になる道場を持ってから、盧山師範と提携をして、大会をしても極真館の選手も参加できるようになったようである。

その大会告知のページが以下である。
  ↓
http://www.kyokushinkan.org/news.html?itemid=931


松井派の世界大会において、当初日本代表選手の指導を、廣重毅氏が務めたが、廣重毅氏は、兄弟子の盧山初雄師範が松井氏から除名され極真館を設立し、自分も極真館にいったので後継として中村誠師範が、その役を務めたが、その中村誠氏も脱退してしまったとは、なんと松井派は主要な人物が抜けてしまうのか!と驚愕の思いにとらわれざるを得ない。

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  廣重毅

極真館設立に際し、盧山初雄師範の弟弟子であった湖山彰夫山陰支部長も当然、極真館にいった。

そんな魅力のない団体になり下がってしまったのである松井派は。

95年の極真分裂劇の後、いろんな地区本部が設けられ、それぞれに本部長が就いた。

その内容は以下である。

東北地区本部  関川博明
東関東地区本部 廣重毅
北関東地区本部 盧山初雄
西関東地区本部 山田雅稔
東中部地区本部 浜井良明
西中部地区本部 浜井識安
東関西地区本部 川畑幸一
西関西地区本部 中村誠
中国地区本部  湖山彰夫
四国地区本部  高見成昭
北九州地区本部 河岡博實
南九州地区本部 中村満雄

この体制で当初は発動したが、いろんな本部長が辞めたり、除名になったりしたために、残っているのは以下である。


東北地区本部  関川博明
東関東地区本部 廣重毅
北関東地区本部 盧山初雄
西関東地区本部 山田雅稔
東中部地区本部 浜井良明
西中部地区本部 浜井識安
東関西地区本部 川畑幸一
西関西地区本部 中村誠
中国地区本部  湖山彰夫
四国地区本部  高見成昭
北九州地区本部 河岡博實
南九州地区本部 中村満雄

横線があるのが、本部長がいなくなったところだが、本部がなくなった数が実に半数以上である。

実に悲劇以外何物でもない。

当然、いなくなった後に別の人物が就いているのは言うまでもないが、しかしこんな数の本部長がいなくなるとは信じれないし、いかに松井氏松井体制に魅力がないのがわかる。

空手家のみならず、松井氏を、分裂後から補助してきたジャーナリストである小島一志氏でさえも、もう反松井派になってしまっている。

また、松井派においては、少年部や壮年部の人たちは素手素足での試合はできた話ではないから当然パンチグローブやサポーターをつけないといけない。

そのグローブやサポーターも本部公認の物を買って着けないと試合に出れないという規則になったというから呆れてものが言えない。

しかも手による顔面攻撃がない極真空手の試合において、マウスピースなど不要である。

にもかかわらず、本部公認のマウスピースをつけないと試合に出れないというからもっとあきれてものが言えない。

その額、約1万円だという。

マウスピースなど、スポーツショップに行けば2000円くらいが通常である。

安いものでは600円で手に入る。

それなのにこの額…信じれない!

私は松井氏に金の亡者がとりついているとしか考えれないのである。

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私は極真の分裂の後、極真空手の組織をつぶさに観察してきた結果、思ったのは、やはりあの同朋たちの忠言通り、松井氏は館長職を辞任すべきであったと思われてならない。

しかし、巨大な組織の長に一度就いたら辞められないものなのかなあ?と疑問に思う。

お家騒動はやはり昔からある。

偉大な長が亡くなる、あるいはその職を辞任した後に、そのあとに就いた人間のやり方に不満を持つ者が多く出て、ついに辞任を迫るも、そのあとに就いた者がそれを受け入れられずにそのまま就き続け、それが不満になって組織は分裂。

しかし、分裂を乗り越えてまた1つの鞘に戻るという例は歴史を紐解けば、いくつか例がある。

非常に稀有な手腕をもった長の後を継いだ後継者が非常に手腕のレベルが低く、どうにもいかなくなり、家臣の忠言を聞き、潔く退任し、円満なまま終了という例もある。

また、そのまま就任したままでうまくいかなくなりその団体は崩壊という例もある。

そのような道を松井派は歩むのではないかと思われて仕方ない。

大山総裁の妻である千弥子氏を館長にして大山派だが、その千弥子夫人が高齢を理由に館長職を辞退してからは、イニシアティブは三瓶啓二氏が中心に握っていくことになる。

その運営内容に不満をもった西田幸夫、増田章、桑島保寛、七戸康博などが大山派からの離脱を表明し、『極真連合会』を設立する。

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西田幸夫

その『極真連合会』は、その後、名を変えて『一般社団法人 極真会館』という名に変更した。

そのホームページは以下。
 ↓
http://www.kyokushin-kaikan.or.jp/

あまりに分裂を繰り返すのにうんざりし、大山派だった長谷場譲氏はどこにも属さない自分の極真空手の団体を設立。

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   長谷場譲

やはり先の、タテ社会の分裂劇をおさらいすると、組織の長がいなくなるとやはり分裂をしてしまうのだ。

大山派は、千弥子氏を館長(頂点の人物)にした。

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しかし、その頂点の人物がいなくなると、その次期の長が采配を振るうと下の人たちの不満が鬱積してやめていくのだ。

その構図は大山派にも当てはまるのだ。

極真は1つに纏められるかなあと思ったが、ついに2003年、大山派は、『新極真会』と名を変えていくことを街のポスターで知った。

そのポスターを見たときに、「ああもう纏れることはないな!」と私は諦めた。

松井派は極真の中で一番大きな団体であるとは間違いない。

大山総裁が「松井を後継者にする!」と直接に伝えられた海外の多くの主要な支部長たちに伝えたということもあり、付いた支部長の数は多いゆえに、世界大会においても3日間敢行できている。

新極真会2日間の開催である。

しかし2016年の全日本大会においては、2日目にても、2階席にも多くの観客が埋まっていた。

しかし、松井派の全日本大会では、2階席には人が1人もいないのがわかった。

これは、世界大会で日本人が優勝できて数人の日本人が入賞したということもあろうが、組織内部の人事について多くの普通の会員すらもその腐敗状況がネット等から分かってきて、そこにいるのにためらいを感じるようになったのではないかと思われて仕方ないのである。

当たり前である。

本部会員登録や、本部公認のサポーターなど不必要なお金がかかる。

主要な師範がつまらない理由で辞めさせられる。

または主要な師範が組織に失望して辞める。

その数がかなり多い。

そんな組織にいつまでも属したいと思うほうがおかしいのではないだろうか?

私は絶対に松井派では修行したいとは思わないのである。

組織をビジネス化して、会員を金儲けの手段にすることを大山総裁は、一番嫌っていたのである。

その一番嫌っていたことを松井氏は平然とこなして、巨万の富を得ているのである。

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超高級マンションに住み、いくら財産があるのかわからない。

大山総裁は、書いた本が世界中で売られ、世界中の支部からお金が入ってきても、それを自分の懐に入れないで、さらに多くの支部を作るのに何のためらいもなく出したようである。

大山総裁の口座には、死後3000万円しかないことが分かったのだ。

松井氏とは全然違う。

こういう人間像であると見抜いていたので大山総裁は松井氏を後継にしたのだと思うが、自分が館長につくや否や、そういう人間性が逆転してしまったようで、大山総裁の見込みとはまるで違う人物になってしまったようである。

まるで魅力のない人物に…。

違う人間だから、やり方や思想が違うのは致し方ないし、大山総裁と全く同じようにせよとは言わない。

97年フランシスコ.フィリォグラウベ. フェイトーザニコラス.ぺタスなどがK-1参戦をした時、大山派の人間から大きく批難が出されたが、私はそれくらいはいいと思う。

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しかし、人道から外れたことを平然とこなすことは誰もが解せないはずである。

自分の元師匠や元先輩を平然と除名にするなんて言うことは全くもって私は解せないし、同じ思いでいる人は多くいるだろう。

それに2016年松井派の全日本大会を見たら、私は失望した。

その大幅なルール改定にである。

この大会から、上段に蹴りが当たって顔がちょっと動き、そこで決めのポーズをとればそれで技ありになってしまうようになったのだ。

別に効いてもいないのにである。

これは寸止め空手に毛の生えたようなものである。

格闘技とはとても思えないものになってしまった。

もちろん武道でもない。

非常に魅力のないものになってしまった。

それに、松井氏をネットで検索すると、いくらでも批判が書かれているが、緑健児を検索にかけると全然批判が書かれていないのである。

やはり賢人にとことん近い人物なのだろうと思う緑健児は。

新極真会は当初、代表の在任期間は8年と定められていたが、それを過ぎても就任し続けているのはやはり正統性が緑氏にあるのだと思う。

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松井氏94年からの主導方法を見て、その失敗を経験理論として学び、それを繰り返すことはしないと学んだことも大きいのだろうとは思う。

それでもやはり松井派のように、主要な師範をつまらない理由で辞めさせるとか、支部長が組織に失望して辞めるということが新極真会ではないのだ。

ましてや不必要な物を会員に買わせるなどということは更にない。

そういう意味で新極真会松井派よりも魅力的に映るのは私だけであろうか?

松井氏は館長に就任してからは、お金まみれ、無反省の人生であったと感じるのは私だけであろうか?

あなたはどう感じるか、感想を書いてほしい。

極真分裂の経緯を簡潔に書いてある本として以下の本を紹介したい。
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『この偉業を忘れ去っていいものでしょうか?』

こんにちは。

あけましておめでとうございます。

今年もあなたの空手人生に足しになるブログをどんどん書いていきたいと思います。

ですので、どうぞよろしくお願いいたします。

前回は、自分を含め人が上手くいかなかったときに、その人の実績や特徴を深く分析して、その人が良くなるように励ませ、ということを話しました。

今回もそのことを話します。

2012年の極真会館松井派の全日本大会においてアレハンドロ.ナバロ(スペイン)と、ゴテルジ.カパナーゼ(ロシア)による決勝がおこなわれ、ナバロがこれを制して優勝するのです。

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この時まさにナバロ35歳で、史上最年長での優勝でした。

この全日本大会より5年前の世界大会においてナバロは出場し、日本の準エースである田中健太郎を延長2回戦い、試し割り判定で降し、見事ベスト8入りし、スペイン人として初めての世界大会ベスト8入りを果たすのです。

それからまた、2013年世界ウェイト制にも出場しました。

世界ウェイト制はこれまで軽重量級はずっと日本人が優勝してきましたが、これを制し世界ウェイト制史上初の外国人チャンピオンになるのです。

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アレハンドロ.ナバロ

また同じ年の全日本大会に出場し、俄然注目を浴びるのです。

その時テレビで放映されていたナレーションでは、

「日本に立ちはだかる厚い壁」

「日本の天敵」

と驚異的なフレーズで紹介されていたのです。

その前評判にたがわず、ナバロ決勝に進出するのです。

この対戦では、安島喬平と対峙し、スタミナも衰えることなく、手数も出していたにもかかわらず、やはり安島選手のほうが若いだけあって、技を出すときの溌溂さで優り、それが印象が良くなって安島選手に旗が全部なびくのです。

それで惜しくもナバロ準優勝で終わるのです。

でもこの時まさに36歳

この年齢で2年連続で決勝進出したこと自体が驚異的なことですね。

次の年の全日本大会にも出場しますが、3回戦で日本の森善十朗と対戦し、これも手数や積極性では負けていなかったにもかかわらず、やはり印象点が悪く、本戦で敗退してしまうのです。

それにもめげず、次の世界大会に出場しますが、ここでも思わぬ伏兵に3回戦で足元をすくわれるのです。

ロシアファルーク.トゥルグンボエフに判定負けするのです。

この事実を見て普通はもうトシだから限界だ(当時38歳)というのがすぐに思い浮かぶことでしょう。

しかし、その内因については本人にしかわからないものです。

もしかしたら体調は年齢によらず絶好調だったにもかかわらず、稽古中に何か怪我を負ってしまったかもしれないですね。

いろんな大会の選手控え室などにいって観察するに、いろんな劇があったことは間違いありませんでした。

雑誌やテレビでは報道されなかった、深い内実があるのはどの試合でもあるのは間違いありません。

この世界大会で、どのようなコンディションだったかは本人にしかわからないです。

この3回戦での敗北にめげず、ナバロは16年の全日本大会に出場します。

でもここでもまた伏兵に体重判定で敗れ入賞ならずでした。

ここで私が異議を唱えたいのは、その敗退によってナバロのこれまでの偉業が完全に無視されてしまうことですね。

やはり注目されやすいのは、この大会で優勝した人、準優勝した人のことばかりに雑誌やテレビではスポットが当たることですね。

それはそれで仕方ない部分があるのは否めません。

全記録や全選手の吟味などしていては雑誌を定期刊行などできませんからね。

確かに空手雑誌では、そういう昔の選手の偉業のコラムなどが載ることもありますが、私にとっては物足りないです。

ナバロの偉業は、

スペイン人として初めての世界大会入賞
全日本大会で史上最年長優勝
全日本大会で史上最年長準優勝
全日本大会で史上最年長2年連続決勝進出
世界ウェイト制の軽重量級で初めての外国人優勝

ということが挙げれるでしょう。

これだけのことを成し遂げるのは並大抵のことではないのは言うまでもありません。

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しかし、世界大会での3回戦敗北、そして次の年の全日本大会での敗北が続き、ナバロへの注目はほとんど全くなされなくなってしまったのでした。

敗北が続く…しかし、ナバロの上記の偉業は少しも色あせることはないのです。

前回に紹介した志田清之選手3度木村靖彦に勝ったという偉業も同様です。

このように敗北が続いてしまった人には、こういう過去の実績をかざして励ますのも大事ではないのか、ということを言いたいのです。

こういう過去の偉業に注目する、これが自分が前進していくことに際し重要であるということです。

そういう姿勢があれば、相手に油断することなく稽古に励むでしょう?

頷けた人は謙虚で素晴らしいです!

今回はこれにて失礼いたします。

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ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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男性もそういうのにハマるパターンは多くありますが、女性ほどではありません。

男女がもっている世界観はやはり違いますね。

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それについてどうのこうのと言っても仕方ないですね。

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男がずぼらで、女性が非常に鋭く物事を見る力が男よりあるのは、これまでの経験でよくわかります。

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細かいことにやはり女性は気づきますよね。

それが男女の生活を向上させるのです。

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 だからこういった占いなどにハマるのは男性よりも女性のほうが多いのでしょう。

 でも覚えておいて欲しいのは、これだけにハマって、その人生の行くえに向かっていくのに一切行動しない、その占いの結果に憂えてしまい卑屈になる、ということだけはやめてほしいです。

 でも、その結果についていろいろ指針が書かれるわけですから、その内容についてはよく読んで、吟味して行動していってほしいです。

男女がより人生を協力して行動していってほしいものです。

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『人や自分が上手くいかなかったらこうすべし?』

こんにちは。

ついに年が明けましたね。

今年も、あなたの空手人生を実りあるものにしていっていただきたいブログを今回も書きたいと思います。

さっそくですが、木村靖彦という人を知っているでしょうか?

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    木村靖彦


いわずと知れたこの人は、極真会館松井派世界大会第7回、第8回と連続で6位に入賞した人です。

この人が、3度勝てなかった人を知っていますでしょうか?

誰でしょう?

答えは、志田清之です。

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     志田清之

この人に木村選手3度勝てなかったのです。

2回はウェイト制で、1回は世界ウェイト制選抜で計3回敗れたのです。

驚きでしょう?

2人が対戦した96年ウェイト制直後におこなわれた全日本大会で2人はともに途中敗退してしまうのです。

そしてそれから2年後に3度目の対戦がおこなわれたのですが、その際は、重量級決勝で対戦し、延長1回で志田選手3度目の対戦を制するのです。

しかし、この後の全日本大会で差がついてしまうのです。

2人とも順調に4回戦にまで勝ち上がるのですが、木村選手は対戦相手が軽量級であったこともあり、手堅く中段蹴りで一本勝ちを収めベスト8入りし世界大会の切符を手に入れるのですが、かたや志田選手は、4回戦で対戦したのは、それから4年後に日本のエースになり世界大会でも優勝する木山仁選手でした。

その木山選手に僅差で判定負けし、世界大会の切符を一歩手前で逃してしまうのです。

それから半年後におこなわれた全日本ウェイト制に出場し、志田選手優勝し、ようやく世界大会出場の切符を手に入れるのです。

それから5か月後の世界大会において、初戦2回戦を固い動きで制して3回戦に進みますが、3回戦であのアレキサンダーピッチュクノフ(ロシア)との対戦するのでした。

ピチュクノフ
アレキサンダーピッチュクノフ

この選手が、こんにちのロシア旋風のきっかけをつくるのですが、この大会では世界中の強豪をどんどん降して結果的に3位に入賞するのです。

そのピッチュクノフ2メートルに迫る長身ということもあり、なかなか志田選手はペースを作ることができずにいました。

志田選手は、これまでに膝蹴りからすぐさま下段につなげるコンビネーションを得意としていたのですが、身長で圧倒的に劣るピッチュクノフ選手には有効打が打てずにいました。

自分より身長で勝る相手には膝蹴りはタブーです。

膝蹴りは、背で劣る相手には有効打が打てるどころか相手に攻撃のチャンスを与えてしまうのですね。

ピッチュクノフ選手は、あの田村悦宏選手をして、「あんな強いパンチを食らったのは初めてだ!」と言わしめるほどのハードパンチを持っている選手でした。

そのパンチで徐々にボディが効き始め、志田選手はどんどん劣勢に追い込まれるのです。

そして延長1回で志田選手は惨敗し3回戦敗退で終わりました。

かたや木村靖彦選手は、緒戦1回戦と2回戦ともに中段蹴りによる技ありや一本勝ちで手堅く勝っていきました。

ベスト8をかけた5回戦では、相手が4回戦で延長の末の接戦で勝ってきたということもあり、満身創痍で、木村選手は快調に下段蹴りで一本勝ちを収め、またもベスト8入りするのです。

そして次の年の全日本大会において、志田木村両選手が出場します。

かつて3度勝った木村選手が、昨年の世界大会でベスト8入りしたこともあり、俄然優勝候補に挙げられていましたが、志田選手はその候補に入ってなかったのでした。

両選手はともに順調に1,2回戦を勝ち上がりましたが、岐路は3回戦に訪れました。

木村選手は、順調にこれを制しますが、志田選手は思わぬ伏兵に足元をすくわれるのです。

相手は池田雅人選手でした。

池田選手は、この年から5年前の世界大会の前のウェイト制で、初出場ながら中量級で準優勝し、世界大会に出場するというまさにシンデレラボーイぶりを発揮するのですが、それから後は低迷していたのは否めませんでした。

しかし、この全日本大会の前のロシア大会に出場し、「突きの強さの向上に必要性を感じ」て、突きの威力の向上をさせ、この大会に臨み志田選手と対戦するのです。

その威力の向上が功を奏し、その突きの威力に対抗できず、志田選手はズルズルと後退するのです。

その強烈な突きからの下段も強力で、志田選手はそれを食らうと体をくの字に曲げて後退します。

またずるずると後退するだけで志田選手は、圧倒的な大差で判定負けするのです。

池田選手は、そのまま快進撃を続け、ベスト8入りするのです。

この大会で、突きの威力の向上によって新境地を開拓するのですが、その突きの威力に対抗するには、自分にもそれ相応の強い突きがなければ勝てるわけはないのです。

その突きが来た時に、横にずれたり、カウンターを合わせても、対処療法でしかなく、勝ちを引き込むことはできないのは言うまでもないのです。

その池田選手が、5回戦で対戦したのは、志田選手が3度勝った木村選手でした。

その木村選手に何もできないまま、池田選手は敗退するのです。

池田選手の突きも突破口にはなりませんでした。

木村選手といえば、あの下段蹴りや中段蹴りで有名で雑誌でも取り上げられていましたが、それだけに視点を集めてもいけませんね。

それは危険です。

やはりあの池田選手のあの強烈な突きに対抗できたということは、それ相応の否それ以上の強烈な突きがあったからこそ木村選手は対池田戦を制することができたのですね。

強烈な突きを持った相手に蹴りだけで制することはできた話ではないのです。

技全般の強化に努めたから、木村選手は勝ち上がることができたのです。

この志田選手の敗退について、その師匠の廣重師範は、稽古不足だったといいます。

全日本大会への出場レベルの関東の選手たちを集める合同稽古において、全日本大会2か月前において、志田選手はスタミナトレーニングにおいてハアハアいっていた。

しかし木村選手は毅然としていたというのです。

「これでは志田は途中敗退だ。」とわかったと廣重師範はいいます。

練習不足だったのです。

これはやはり前年の世界大会で木村選手6位入賞、しかし志田選手は3回戦敗退。

この差がやはり練習に向かわせるテンションの差になってしまったのでしょう。

やはり入賞したのとしないのではテンションの上がり方が違うのは誰しもわかるでしょう。

「なんで俺が3回勝った相手があんなに活躍しているのに、俺は勝てないんだ!」志田選手は思ったことでしょう。

その気持ちは痛いほどわかりますが、その精神的な気持ちについては、自分のいい部分について意識を向けて、「自分はこういういい部分があるんだ!自分はああいういい部分があるんだ!だからめげずに頑張るぞ!」と意気を上げて稽古に励んでいくしかないのですね。

自分が勝てなかったことについて意識を向けすぎると、やはり気持ちが暗くなって、陰鬱になり、悪い思いが頭を徘徊して、行動を悪いほうへ向かわせてしまうのです。

自分が3たび勝った木村選手が今度は全日本大会準優勝し、志田選手はどのような気持ちになったのでしょうか。

こういうマニアックな情報については詳しいので、私が志田選手の先輩や同僚なら、

「君が3回勝った木村があれだけ行けたんだ。

木村よりも優っている部分があったから3回勝てたんだ。

その優れている部分を意識して自信につなげて稽古しろ。

そうすれば今度は木村より上位にいくこともできるはずだから頑張れ!」

といったでしょう。

そして、突きの威力で負けていたことを指摘し、より強く突きを強化することをアドバイスしたでしょう。

しかし、この敗戦を最後に志田選手は選手を引退してしまうのです。

哀しいことですが。

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世界大会で活躍する木村靖彦


木村選手志田選手は、歴史を俯瞰するとやはり運が木村選手に向いていた、ということも言えますね。

ベスト8入りする岐路になる試合を見ると、木村選手は相手が軽量級の選手であったり、また別の場合は、その前でかなり負傷していた選手ということもありました。

しかし、志田選手の場合は、相手がのちに全日本のエースになる選手だったり、その大会で上位に入賞する選手だったりと運があまり良くなかったのです。

ここを読むと、「その運を自分のためにいかすのも実力のうちだ!」という反論を受けそうですがその通りですね。

トーナメントの組み合わせが悪かったからということによって、志田選手がベスト8入りできるわけもありません。

でも、運を引き込むことなく途中敗退してしまった場合には、やはりこういう本人の特徴などについて構造的に明らかにしてあげて、励ます必要もあることは反論を待たないでしょう?

また、自分がそうなったときにもそういう作業は必要ではないでしょうか?

そのことの重要性を指摘したのです。

自分がかつて勝った人が入賞したが自分は途中で敗退してしまった。

そういう場合は、

「あの人に勝ったことがあるんだ、だから自分にもそういうことが可能なはずだ。

だからめげずに頑張ろう!」

という気概を持つことが大切なのは間違いないでしょう。

それだけでなく、

「スパーリングで効かしたことがあるんだ。

自分にはそういう部分があるんだ。

めげずに頑張ろう!」

こんな考えがあってもいいでしょう。

志田は負け続けだ。もうだめだ!」とは私は考えなかったのですが、志田選手は残念ながら…。

言いたいことは敗退したときに短絡的な考えはせずに、深く掘り下げて分析し頑張りましょうということです。

指導員や先輩なら、そういう行為をして励ませということです。

敗退したことについてなじるなんていうのは論外です。

参考にしてくださいませ。

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今回はこれにて失礼いたします。

ありがとうございました。

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