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『スピリチュアルになると強くなれる?』

こんにちは。

アクセス上々です!

興味ある方は読んでくださいませ。
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『極真分裂20年を振り返る』
http://blog.livedoor.jp/hammerdc/archives/9474604.html


これまで「神になる方法」といったニュアンスで話してきましたが、こういうスピリチュアルな話って非常に大事なのです。

精神的なものってどんな分野においても大事ですからね。

同じことをやっても、結果の出る人とでない人ってそういう部分に由来しているのがほとんどなのですね。

精神の持ち方いかんで結果が変わってくるのです。

それは間違いないです。

その関連で話をしていきましょう。

ことは、2011年の新極真会の世界大会ですね。

この時、日本のエースとして塚本徳臣は出場したのです。

この前年と前々年に全日本大会を連覇しての出場でした。

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しかし、前々年のワールドカップ(体重別の世界ウェイト制大会)において、塚本選手は重量級で出場し、決勝でヴァレリー.ディミトロフに敗れるのです。

のみならず、この大会では全階級で外国人が優勝していましたから、今度こそ次の世界大会では外国人が優勝するだろうという危機感が全体的にありました。

そんな危機感の中、塚本選手は臆することなく出場していました。

私は、この大会の最終日に行ったのですが、その時「あれっ!」と思ったのは、塚本選手の構えが非常に低いということですね。

重心が下に落ちて、普通の人よりも腰の位置が低いのです。

しかも、前脚が通常よりも前に出て半身の角度が鋭い。

これでは相手の技をもらっても通常よりは効かないし、相手の前蹴りも入りにくいものの、自分の技を連続で出すのはスムーズにいかない。

これをずっと続けていけば、勝ち続けるのは難しい。

しかしそうはならず、日本人対決や外国人対決でも悠然と勝ち上がるのです。


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そしてついに優勝するのです。

この大会の時は、そういう構えでしたから当然前脚の横蹴りから入ることが多かったですね。

そこから、膝蹴りの連打やパンチにつなげる場面が多くありました。

しかしそういう構えから上段蹴りや上段膝蹴りにつなげるコンビネーションもありましたから、相手はなすすべもないといった感じでした。

しかも相手の技は当たることもあったけれども見切られて空を切る場面がほとんど。

この大会では、緒戦からこういう感じで判定で勝ち上がることよりも、技ありや一本勝ちで勝つ場面がほとんどでした。

その大会のハイライトは、準決勝での対ローマン.ネステレンコ戦で、胴回し回転蹴りで一本勝ちした時ですね。

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こうなれば、なぜこのような勝ち上がりをすることができたか?という疑問が誰でもわきますね?

そこで私は、この大会後に出された塚本選手の著書を買って読んでみたのですね。

すると塚本選手曰く、技の威力が変わる方法を稽古中に発見したというのです。

基本稽古の時に、踵に呼吸を落とすようにしてみると、感覚が今までとまるっきり違うことに気づいたというのです。

呼吸を踵に落とすことを心がけていくと精神も常に水のように循環され技もよくなる。

腸腰筋と内転筋も同時に鍛えていく。

心技体、すべてが鍛えられる。

天地一つ、今までは宇宙のエネルギーを吸収して丹田から地球に送っていたと思っていたことが、踵で呼吸を落とすことにより地球の中心に送っている感覚にもなってきたということです。

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なんともスピリチュアルな話ですね。

「だから世界大会の時にあんなに重心が落ちていたのか」と納得しました。

この踵に呼吸を落とすということで、技の威力が変わるということを人に教えられてわかったのではなく、稽古中に発見したのは言うまでもありません。

稽古の果てしない積み重ねの中で発見したのです。

それが意外にもスピリチュアルな話にも通じていたから驚き以外何物でもありません。

この書物を読んで意外だったのは、塚本選手は、非常に心優しい人間である、人の心を慮る能力がある、ということですね。

常に一本勝ちを狙い、それに向けて毎日稽古している。

試合中も、場外でもつれ合ったりしたときに相手にメンチ切りしている(笑)

そういうスピリットの人は、人の心を慮る能力などないのかな、人をぞんざいに扱うのかなと思い勝ちですが、意外や意外、ものすごく優しく、人の好意に感謝できる人なので、この本を読んでいて心熱くなりました。

人に対する心だけでなく、自然や動物に対する感謝の意志を常に持っている、ということですね。

全エネルギーを人や自然や動物からももらっている、という精神が溢れているということですね。

そういった精神が持てるかどうかというのは、そういうものの存在を信じれるかどうかにあるのは言うまでもありません。

無理やり信じろ、といったところで信じない人は信じれないでしょう。

それまでの人生でそういうものの存在を信じれる体験をしたかどうかでしょう。

そういうものの存在を信じて謙虚に稽古を重ねに重ねる、それでああいう境地に至るのではないでしょうか?

これは何も宗教に入れということではありません。

常に人や自然、動物といった万物に対して感謝の気持ちを持てるかどうかでしょう。

そうなれば日頃の態度もすぐに変わるでしょう。

そう変われば、塚本選手のような境地に至ることができるのではないか、と思われてならないのですね。

●この塚本選手のこの本に興味が出た人は以下よりどうぞ!
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以上、あなたの空手人生に役立てくださいませ。

今回はこれにて終了します。

読んでいただき感謝します。

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【おすすめ商品】桜井邦朋 『大学教授』

この桜井邦朋氏は、日本の大学や大学教授について、非常に鋭い眼光をもって批判してきた一人者です。


批判するのみならず、教授たるものはどういう姿勢でいるべきかをきちんと身をもって体現してきた人でもあります。

その内容については、私自身非常に感服のいくものであり、賛同できるからこそこの著者の本を何冊も買って読んでしまった大学時代を思い出しました。

大学教授の研究怠惰、研究内容の空虚さ、大学の人事の在り方…etcどれもその内容は私自身の不満内容とほぼ一致していて同情の寄せれる内容でした。

その内容を吟味すると、桜井氏の言葉によれば、「研究とは終わりなき前進であり、ライフワークとは進歩のレポートとでもいうべき、研究論文の積み重ねから生れ出てくるもので、一生の最後に何か屹立した仕事が1つだけ作られるということではない」ということです。

そうですね。

教授の研究とは普段の積み重ねであり、普段から何も出ていない教授は仕事をしていない、ということですね。

確かに、論文や本を出していない教授の講義を聴いても、やはり同じことの繰り返しであり、聴いていてつまらなくなりますね。

普段から論文や本を出しているべきでありということで、桜井氏はいろんな本を出し、研究論文を普段から出していました。

自分のモラルを実際に体現していた、ということで立派だと思いました。

大学の講義で毎回研究の成果を話していて新鮮味のある講義してくれる教授と、毎回毎回同じことばかり言っている教授と、の差はどこにあるのか?という疑問にぶち当たると思いますが、やはり双方の世界観にある気がします。

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そこで思い起こされるのは、アメリカの哲学者のウィリアムジェイムズの言葉です。

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ウィリアムジェイムズ

ウィリアムジェイムズによれば、

「この世は2つのタイプの人間がいて、1つは、この世界を多元的に捉える人。この人は、リンゴもいいし、蜜柑もいいし、バナナもまずくはないし、パイナップルも結構だ。

その間に序列をつけるわけではないし関係をつけるのでもない。

いろんなものが並列状態にある、というふうに捉える立場の人。

もう1つは、この世界は最後は1つの絶対的な価値に収斂していって、その体系の中に諸々のモノがちりばめられている、というふうに捉える立場の人。

この2パターンに分かれる。

後者の方が圧倒的に多い。」

ということです。

大学の講義で毎回研究の成果を話していて新鮮味のある講義してくれる教授は、この世の中を多元的にとらえることができるからいろんな物事を非常な好奇心をもって研究していくことができるのでしょう。

しかし毎回毎回同じことしか言っていない教授は、この世界は絶対的な価値に収斂していく、という世界観でいるために、わざわざことの詳細について研究していく必要はない、という考えでいるのですから、研究が大事なのですよと言ってもきかないでしょう(笑)。

こういう世界観の教授は、ほとんど本を出しません。

論文も書きません。


たとえ本を出しても1冊くらいで(笑)。

しかも複数の本を出しても、本の最初から最後まで同じようなことしか書いていないのです(笑)。

こういう世界観でいる教授のみならず、大学生のほとんどもそういう世界観でいるのですから、こういう教授のほうが人気があるのです(笑)。

受講する人が多いのです。

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私の在学時代から、大学の改革の必要性は叫ばれていましたが、それでも日本の大学の改革が遅々として進まないのは、こういう世界観でいる生徒がほとんどであるからにほかなりません。

逆に毎回研究成果を講義してくれる教授のはたいてい人気がない。

毎回違うことを講義されるので、ノートをきちんととっていないと年末試験には困るからです。

大学の教授の質を上げようと思ったら、研究をさぼっている教授の講義を受けない人が大勢出てくればいいのです。

しかし学生のほとんどはそういう教授のほうが都合がいいですから、多くの人が受講するのです。

需要と供給の法則と同じです。

美味しくない店が淘汰されるには、その店に来ない人が大勢出てくれば自然とその店はつぶれます。

しかし、毎回毎回同じようなことしか言っていない教授をくびにしようという学生が大勢出て、受講しない人だらけになってくれば自然とその教授は退任するしかなくなりますが、そういうことまで考えている学生はいないでしょう、ほとんど。

ですから難しい問題なのです。

文系の大学では、だいたい1つの講義につき2000~3000円ものお金がかかるのですね。

理系ではもっとお金がかかりますから、もっとその額は大きくなるでしょう。

しかし、1講義につき、その講義の先生が2000~3000円のお金を受け取っているかといえばそんなことはなく、大学での研究費や先生方の退職金等に充てられていることは間違いありません。

しかしこれだけ多額のお金を収めていながらも、多くの学生は講義にほとんど出ません。

ということは、親御さんが出してくれた大学へのお金のほとんどは、学生が元を取ることなく、大学が儲けて研究費等に充てられていることになります。

ということは、研究によって作られて市場に出た製品は、大学が研究費に充てたお金と製品に乗せられて消費者が払ったコスト料金で賄われたことになりますから、大学に子供を行かせた親御さんたちは、二重にお金を払っていることになります。

二重の献金をしたことになります。

この内奥を知った大学生は、親御さんの苦労を知り、元を取ろうと頑張って大学での授業は全部出て、図書館を利用して、その他ネットを利用して、あらんかぎりの勉強をすべきでしょう。

さらに桜井氏は言います。

「教育とは、本来、学ぶ人々に思考力を養い、独自の創造的能力を植え付けることを目的とした事業です。
教育に当たって大事なことはそのような努力を各人が始めたくなるようなきっかけを与えることにある。

教授たちの生きざま、物の考え方、見方などを彼らが学び取ることが大事なのではないか。」

これも難しい問題ですね。

単なる知識を得るためではないのが教育である、ということですが、私も非常に賛同します。

しかし、そのような教授がいるいないにかかわらず、講義に出る人は少ないのです。

たとえレベルの高い大学でも。

東京大学に通っていた知り合いに聞くと、東大でも年末の試験間には、友人のノートをコピーするための行列が長く出来るそうです(笑)。

私は全部に出ていましたから、コピー機の前に並んだことはありません。

そういうから私は偉い!などとは言いませんが(笑)、やはり創造性を学ぶためにはやはり講義に出る必要があるのです。

その教授の講義の中での雑談の中でこそ、学び取る機会も大いにあるわけです。


そのことを心に留めておいてもらいたいな、と思います。

昔からいわれていたことで久しいのは、日本には専門バカが多い、ということですね。

自分の専門とする分野についてはすごく知っているけれども、少しでもその枠を外れたものについては全然わからないし、興味関心もないということですね。

そのことについて桜井氏も危惧しているのです。

そういう教授はたいして論文や本で業績を上げることなく終わります。

いろんな分野に関心を広げて研究している教授はやはり論文や本で業績を上げているのです。

桜井氏曰く、

「真の専門家とは、いろいろな分野にわたり優れた知識、見識を持ち、その中のある特定の分野で特に優れている人のことです。」

このように桜井氏が、危惧する理由もわからないではないです。

好奇心が旺盛な人かどうかはその人の価値観による、としか言いようがありません。

好奇心が旺盛な人はいつの世でもいます。

好奇心が専門分野にしかない人もいつの世にでもいます。

ですからそこはそれほど危惧すべきなのかなあという気がしますが、桜井氏の危惧は留めておいたほうがいいでしょう。

また、桜井氏は、「いろいろな分野に等しく関心を持ち、その中で自分の目下の専門分野を選択していけることが大事」であるとして、大学受験の際に、18歳かそこらで、学問について何も知らない人に、「○○学部○学科受験」という受験の仕方をさせるのは誤りである、ということを言っています。

でもそこもそれほど論争になりえない事柄ですね。

そうならないための緩和なのか、大学1年では専門教育は3教科くらいで、あとはほとんど一般教養ですね?

強烈な指摘ではありますが、これも難しい問題です。

これと同じくして、大学の制度についての批判があります。

桜井氏によると、大学教授の間で、討論や対論の場がない、ということですね。

やはり言いたい放題だけで終わっている。

これでは、自分の理論を高めることはできない、ということですね。

教育の技術について、教授間で互いに見学したり研修しあったりすることで互いの技術を高めることができるのですね。

そういう動きが出てくることが望まれます。

また、桜井氏が言うに、「大学における教育で最も大事なことは創造的な物事について考え、問題解決に至る論理的な思考能力を養うことにある。」ということです。

私もそのことについては非常に共感をしていました。

やはり物事は何事も不変でいることはありませんから、必ず問題点が発生する。

その時に解決に至るために必要なのは、論理的な思考でしょう。


問題点を良き方向へもっていく能力=創造力と私が尊敬する加藤秀俊もおっしゃっていましたが、その点でも共通しますね桜井氏と。

しかし、社会に出てわかったのは、こういう創造の場というのは、そんなに多くはないものです。

こうしなさい、と言われてそのままにすればいいですが、本ばかり読んでいると、果たしてこのやり方でいいのだろうか?もっと違ういいやり方があるのではないだろうか?などと考えてしまうのですね(笑)

上役に言われた別のやり方をしていると怒られることがあります(笑)。

逆に頭の柔らかい人は何にも言いませんが。

そういった創造力を発揮する場面は、自分がその場の長になったですね。

その場が現れるまで、やはりそんなに表に出すことなく、鞘に納めておいて、そういう場が現れるまで待つのが賢明でしょう。

また最後に、「何らかの新しい事実の発見や新理論、あるいは新解釈ができたのだとすれば、それは創造的なものだと言っていい。実は、大きいか小さいかの判断は時が審判を下してくれるものだということを私たちは忘れてはなるまい。」と印象的なことを書いておられました。

そうですね、大学で講義される科学とは、良き社会をつくることにあるはずです。

そのためには、問題点を探し,そこから、どのようなことを私たちがすべきかを考え、行動していくことが重要なはずです。

そのためには、今の社会についての状態を無批判になっていないで、常に批判的に見ていかなくてはならないのは言うまでもないでしょう。

批判的になる、というのは厭世的になれとか、人や物事を批判することに生きがいを見出すということではありません。

あくまでも問題点を探すという目的のためです。


そのためには、大学教授は印刷物に対して批判的に読み、問題点を探していこうという気概がないといけないのは言うまでもありません。

たまにというか、かなりの数でいるのですが、自分が読んだ印刷物(本や新聞など)を引用して、「」でくくって、その後に他愛もないコメントを加えているだけの論文を書く教授がいるのです。

そういう論文は、読んでいて非常につまらないのです。

それにそんな論文は科学の発展になんの寄与もできないのです。

そういう「ノリとはさみ」の作業をしている教授はいつの世でもいるものです。

そういう「ノリとはさみ」の作業でできた本は、私はすぐさま読むのをやめて売ってしまいます(笑)!

たとえ東大一橋大、早稲田大といった一流大学出身の教授でもいるのです。

一流大学出身だからと言って必ずしもいい論文を書くとは限らないのです。

某ビジネスのメルマガで、その著者さんは、

「文章を書くスキルについては、遺伝で8割決まり、 先天的なスキルを生まれ持っていなければ 努力をしても書けるようにはならない。」

書いています。

まさにその通りでしょうか。

このように良き大学や教授を目指すかどうかは、その構成員いかんに依るはずです。

その大学の先生や学生ですね。



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大学に行って、良き大学生活を送りたいと考えている学生は、

その教授が論文や本を出しているかどうか?

好奇心が多岐にわたっているかどうか?

その大学のホームページを調べればすぐにわかります。

こういった情報を自ら主体的に取り入れて、行動していくことが大事でしょう。

またよき大学教授を目指したい人には、この本に書かれている内容を熟読しておくことは非常に大事だと思います。

そんな方にお勧めの本はこちらです!




大学教授―そのあまりに日本的な













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『なぜ、素直になれないか?-その対処法』

こんにちは。

神になる方法として、人の言うことに対して素直にならなくてはならない、ということを書きました。

そのためには、どんな場面でも自分に有利になるようにいろんな技を鍛錬していなくてはならない、ということを話しました。

自分が試合に出ているときは興奮して、場の状況がわからず、どうしてもセコンドの人が必要です。

この技を出せば絶好の場であるということがセコンド陣にはわかっても試合に出ている人にはわからなくなってしまうものです。

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その声に忠実に従わなくては勝てないのです。

その際に問題になるのは、「どうして素直になれない人がいるのか?」ということですね。

ことは試合に限らず、稽古中に注意をされたり、アドバイスをもらったりする。

しかし、そのことに従えない、よしんば従っても顔は不満だらけでとても素直でない。

こういう人の素直になれないパターンは、2つあると思います。

1つは、空手をやっていて上手くいかない、だから人の意見を聞くことができず、「もう言わないでくれ!」という感情が先に立ってしまう。

そういう人は簡単です!

誰もがうまくいくパターンを実行すればいいのです。

その際に注意点は、「すぐに結果を求めないこと」です。

ことは空手に限らず、いろんな分野でも、共通して言いえることは、すぐには結果は出ないのですから、「この方法で必ずうまくいくんだ!」という気概を持って、着実に前に進んでいってほしいものです。

その方法を書いたのがこちらです!

http://karate-rush.info/index.html

もう1つは、その人の育った家庭環境にあるのです。

周りの人間、ことに親が自分のことをほめてくれない、または自分が何か功績をあげても親は全然ほめてくれない、こういう家庭環境で育った人はやはり素直になれないのです。

小さなころから「お前はああだねえ、こうだねえ」と貶されて育つ。

あるいは、受験で合格した、何かで賞を取った、しかし親はそのことに褒めずに、「それはお前を私たちが育てたからなんだ。」などという始末。

こういう家庭環境で育った人は、自分に自尊心がなく自己卑下していますから、注意やアドバイスを受けても、素直になれません。

それどころか、「言わないでくれ!」というような顔をします。

ですからこちらから何かを言う気にはなれないのです。

そうなると、空手においても自分だけで成長することはできませんから、他からのアドバイスや注意をしてもらえず、強くなることから遠ざかっていきます。

これではいけませんね。

親を批判することはとんでもないことだ、親に対して無批判でいい、こういうことは私は与しません。

なぜなら、人の成長は家庭環境によって大いに影響がある、ということをこれまで科学を学んで知っているからです。


親に褒められて成長した人は素直である。

親に貶されたり功績をあげても褒められずに成長した人は素直になれない。


これは厳然たる事実なのです。

親に対して無批判でいいという人がたまにいますが、そういう人に反論したいのですが、こういう人類が重ねてきた理論があるのに、なぜ無批判でいいのか?ということですね。

こういうとんでもない親に育てられた人にアドバイスしたいのは、

「あなたの育った家庭環境に問題があるから自分を卑下してしまっているのです。

まずそのことを意識して、親からのわがままな要求は無視して、「自分は人から認められるに値する人間なんだ」と意識して、これからは自分を逐一褒めて成功体験を重ねることが重要なのです!」

ということですね。

その成功体験の積み重ねが自尊心を作り、人のアドバイスや注意に素直になれる人格を作り、そのことが空手はもちろん、社会生活においても非常に大事なことなのですよ、ということです。

例えば、今日6時半に起きる、と決めてそれを実行できた。

そのことを自分で褒めるのですね。

今日これだけのことをやる、と決めてそれを完遂出来たらそれを自分で褒めるのです。

あるいは空手では、昨日前蹴りの受けができなかったけれども今日はできたといって自分を褒める。

こういった成功体験でいいのです。

いきなり大きな成功を自分に課して、それができなかったらと言って自分を責めることはないのです。

親から褒められずに育った人は概してこういうことをしがちです。

ですから注意をしましょう。

そういった小さな成功体験を積み重ねていくことが重要で、これは一朝一夕にはできません。

明日、小さな成功体験をしたからとていきなり自信が持てるようにはなりません。

3か月以上はかかりますから注意が必要です。

親になるというのは大変でだれもがなっていいわけではないのです。

父親から褒められず、小さなころからいつも文句を言われ、賞をとっても全然ほめられない。

それに思春期から体が大人びるようになってからは父親からいやらしい目で見られて育った女の子の脳内は、

「男=ケダモノ」

という図式が出来上がってしまうようです。

こういう図式が出来上がってしまった女性は、いくら良い男性が現れてもその人をぞんざいに扱いますし、良好な恋愛をすることもできないのです。

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それにどんな職場でも男が原因で辞めてしまうのです。

職場の男が何にも悪いことをしていないのに、ただそこの男が注意した、あるいはその女性が頼んだことを忙しくてやり損ねただけなのに「私を無視した」などといって勝手に傷ついて辞めるのです。

女性のみならず男性も同様の道を歩むのです。

こういったことがあるのですから、親になる人は充分な注意と人格形成が必要なのです。

誰でもなっていいわけではないのです。

親になる人間はやはり人格的にも立派にならなくてはいけないのがわかりましたでしょうか?

その際に、空手道の修業は非常に大事な道であると思いました。

それを通じて立派な人格になることを私は心から祈っています。

今回はこれにて終了します。

●弊社発行の空手の冊子が以下です。

先にも書いたように、素直になるためには確かな情報が大事です。

その情報を詰めたのがこれです!
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http://karate-rush.info/index.html

では次回もよろしくお願いいたします。

失礼いたします。

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ビルトッテン 『日本は悪くない』

かつて80年代に、日本が輸出において大きな黒字を記録し、アメリカ国内の産業が大打撃を受けて、その日本のいき方の内容が不当であるということを論じた本である。

こういうたぐいの本は私も大学時代に多く読みました。

その趣気を同じくする論者として飯田経夫、ポールボネ、そしてこのビルトッテンが挙げれるでしょう。


アメリカ企業やマスコミは、日本は閉鎖的で、難しい国であるという印象を付けている。

アメリカは、自由貿易を建前としては掲げながら、日本に対しては管理貿易をすべきというリビジョニストは矛盾しているのです。


日本の社会制度や慣習にまで口をはさんでいる構造協議は内政干渉に等しいですね。

なぜアメリカが赤字になってしまうのか?

答えは明白です。

アメリカの製品に競争力がないからです。


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この本が出された当時、日本の輸入車の90%はヨーロッパ製であるといいます。

しかし、この著者のビルトッテン氏に言わせれば、流通機構を変革しても比率は変わらないといいます。

日本の車メーカーはアメリカ市場向けに左ハンドルの車を開発しました。

そして日本の日用品メーカーは、アメリカの大きな住宅向けに大きなサイズの冷蔵庫を開発しました。

しかしアメリカのメーカーは、日本向けにこういう製品開発をしてこなかったのです。

アメリカのソフトウェアメーカーは、英語しかサポートを書かないのだといいます。

しかも自国内で最も多く使われているコンピューターでしか稼働しない製品開発しかしないし、価格や販売条件を日本に一方的に押し付けていたのだといいます。

しかもアフターサービスも悪い、ということです。

これでは、その輸出先の国の側を考えて製品開発をしてきた日本に勝てるわけはありませんね。

また日本の産業が華やかなりし頃、ソニーのコロンビア映画を買収したとか、三菱地所によるロックフェラーセンター買収ということが、日本がアメリカの魂のよりどころを奪った、という批判を処せた識者がいましたが、それも不当であるといいことが分かりました。

上手く立ちいかないアメリカの映画産業発展のために、資金提供をしてくれた、というのが正当であるといいます。

また、ファイアストンをブリヂストンが買収、CBSがそのーの傘下に入りましたが、実際は日本からの投資で産業をよみがえらせ、アメリカ人を助けているのが正しいといいます。

そもそも、なぜアメリカが長期的な視野に立って企業を運営できないのか?

それは四半期主義にあるといいます。

アメリカの経営者は、三か月単位で企業戦略を考えているのです。

アメリカの上場企業は、資金調達を主に株主に頼っているので、経営者は株主の利益を優先させているのです。

株主の利益を上げた経営者は有能で、下げた人間は無能と烙印をおされ首になるといいます。

こうなると、M&Aやリストラクチャリングで会社の売買だけで手っ取り早く収益を稼いだほうがいいということになります。

この本が書かれた1990年には、社長と平社員の給料の差は数十倍になっていたといいます。

これでは、自分がどんな一生懸念働いても得をするのは経営者ということになり、ばかばかしくて働けないでしょう。

日本的雇用の最大の特長は、1つの会社に長くいることにより、多くの分野を経験し、トータルな責任を持つ社員ができる、というところにあります。


しかし、アメリカの経営者は、いい製品を持つ会社が市場から大量に低利の資金を調達して、一刻も早く利益を上げ、さらに経営者は莫大な報酬を得て、やがてはその会社を人に売っておお金持ちになる、ということしか考えていないといいます。

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これでは、日本の製品にかなうはずはありませんね。

この本が書かれた90年からかなり経ってアメリカはさらに格差が拡大しています。

今のアメリカはリュシフェリアン(悪魔教を信じる人たち)によって政界を牛耳られています。


リュシフェリアンは、テクノロジー、産業、軍事、金融を独占し、「人類たちは自分たちの所有物であり、家畜同様に扱って何が悪い!」と本気で信じているのです。

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であるからこそ、こんな国民を搾取しておきながら、自分たちはハイパー金持ちの生活を享受しながら、それを止めようとはしないのです。

その為政者たちとアメリカのトップ企業のCEOとは結託しているのは明らかにされています。

その為政者たちとアメリカのトップ100の企業のCEOの年収は、その会社の従業員の実に1000倍になっているようです。

これではますます赤字が拡大していくことは間違いありません。

それでもやはり収拾がつかないために、日本に構造的な協議を押し付けられたのは周知の事実です。

日本の「構造改革」1993年頃から始まりました。

構造改革とは、要するに日本の経済構造は極めて閉鎖的で前近代的だ、この特殊で後進的なシステムによって日本企業は保護されており、自由競争をしていない。

だから、自由で公正な市場競争をするような経済構造に変えなければならない、
ということでした。

これは明らかに、アメリカの押しつけであったことは明らかです。

日本はアメリカの属国である、というジャーナリストは日本はもちろん海外でも多くいます。

その属国よろしくアメリカの批判をすることなく、日本のマスメディアやジャーナリズムもこれに一斉に唱和しました。

確かに規制撤廃や規制緩和によって、安価な海外製品も輸入され、日本の物価は下がりました。

そのために、日本の企業は激しいコスト競争にさらされました。

コスト競争の結果、賃金が下がり、派遣やアウトソーシングのような不安定な雇用形態にかわり、日本型経営や日本型雇用は崩れていったのです。

そして周知のように日本も格差社会に突入していたのです。


90年当時日本は世界にまれにみる平等社会だったのに…。

日本も株主資本主義に入りました。

会社は株主を儲けさす道具になってしまったのです。

これだけの、批判があるにもかかわらずアメリカは良き製品を開発しようとはしない。

それもやはり不可思議に思う事実ですが、それを探っていくとアメリカのDARPA(国防高等研究計画局)にいきつきます。

アメリカの軍事部門は当然DARPAの傘下に入ってます。



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ヨーロッパの多くの国もです。

その軍事機密に関しては、民間に流れることを法律で禁止しているのです。

その法律ゆえに、民間部門はお粗末な製品しか作れなかったのです。

そのDARPAは、先のリュシフェリアンの一味です。

リュシフェリアンは先天的に劣った人類のほとんどを家畜化して何が悪い、という世界観で生きているのです。

このようにするのは、そのような技術が民間に広まってしまっては、闇の権力の目的である人類を家畜化できなくなってしまうからですね。

このDARPAによって、人類を救う技術は葬り去られてきてしまったのです。

アメリカは当然DARPAによって支配されているのです。

だから民生品の良いものはアメリカは作っても世に出ずに終わってしまっているのだということがベンジャミンフルフォード『闇の支配者に握り潰された世界を救う技術 現代編』に詳しいのでそれも参考として読んでいただきたいです。

でも、理由はそれだけではないので、日米の貿易云々について、「経営の違い」を中心にして知っておくことは非常に重要であると思います。

その内容について毅然とした態度でいることは大事なことです。

この『日本は悪くない』は、その理論武装として格好の本であると確信しています。

興味出たかたは以下よりどうぞ!





日本は悪くない―アメリカの日本叩きは「敗者の喧噪」だ



その他、おススメ図書

闇の支配者に握り潰された世界を救う技術 <現代編>













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