前回は、盧山初雄.極真館の館長の引退を受けて、改めて組織の在り方を論じましたが、その続きをしていきたいと思います。
松井氏は、ちょうど20年前に盧山氏を自分1人の所存で除名にしました。
その理由は非常に他愛ないもので、除名処分などにすべき筋合いのものではなかったということです。
 ↑20年前の除名処分が書いてある『ワールド空手』の記事
しかし、松井氏はサイコパスゆえに、自分の元師匠であろうが、元先輩であろうが、自分と意見を異にするものは、容赦なく除名にして心が咎めない性格ゆえに、その組織はガタガタになり、全く魅力のないものになる、ということです。
95年の極真大分裂後、以下のような組織形成になったのです松井派は。
(地区名 本部長名) 南九州 竹和也
北九州 河岡博実
中国 湖山彰夫
四国 高見成昭
西関西 中村誠
東関西 川畑幸一
西中部 浜井識安
東中部 浜井良明
西関東 山田雅俊
東関東 廣重毅
北関東 盧山初雄
東北 関川博明
しかし、いまだ松井派に残っているのは、北九州地区の河岡博実師範と、東中部地区の浜井良明師範だけなのです。
除名にされた場合もあれば、自分から辞めた場合もありますが、その詳細はここでは省略します。
このような事態になっても何ら心の咎めを受けない人が、その組織の長ではもう内部はガタガタであるのは言うまでもないでしょう。
 松井章圭
逆に、人の意見を真摯に耳を傾け、自分に足りないところがあったらそれを随時矯正していく、という精神的な姿勢と行動があれば、いつまでもその組織は魅力あるものとして永劫に続くのは言うまでもないことです。
その組織の長が、自分の意見だけが正しい、王道だという横柄な態度では選手も健全に育たないのは言うまでもないことです。
松井派の機関誌である『ワールド空手』では、もろに松井氏の価値観が出てしまい、間合いや距離、コンビネーション、テクニック等ばかりが詳説されるようになってしまい、肝心なスピードや強烈さ、打たれ強さなどは一向に講義されていないのです。
それを毎回、雑誌に書いてあるのを読めば、読者はこれら間合いだのコンビネーションだのが一番大事と思って練習に励む。
しかしそれでは強くなれるはずもなく、すぐに辞めてしまう人が続出してしまうのは明白です。
それよりもやはり技の強烈さや、身体の頑強さに一番バイアスを置くべきであるのは明白です。
確かに、試合が頻繁に行われるようになれば、当然技の強烈さや身体の強靭さだけでは勝てないのは明白です。
コンビネーションや間合い、躱しといったものも必須になってくるでしょう。

そういったものを駆使しなければ、ダメージを負い、トーナメント戦を勝ち抜くことはできないですから。
しかし、そういったものばかりが前面に出てしまうのでは本末転倒でしょう。
そういったものは、技の強烈さや身体の打たれ強さがあって初めてできるものだからです。
大山総裁が健在だったころの総本部は、旧態依然とした基本稽古と移動稽古、そして型の稽古にいそしんでいたがゆえに、他の城西支部や城南支部といった、テクも培う支部に後れを取っていた時期があったのは否めません。
では、総本部はなぜ、城西支部のような試合クラスのような稽古を施さなかったか、というと、大山総裁自身が、生まれつき組手のセンスを大いに持ち合わせた人だったようで、そういうセンスのない人の心が理解できなかったのでしょう。
やはり生まれつきの才能にあふれた人は、そういう才能のない人の気もちを理解することはなかなかできないのは、頷けます。
そこは、大山総裁は、自身で工夫をすることを釘さしていたようです。
それで、自身で工夫して上達したら、すかさず大山総裁は褒めたようです。
また、盧山師範も生まれつき組手のセンスのあった人のようで、工夫をこなしながら、全日本大会でも優勝し、世界大会でも準優勝するのです。
 盧山初雄
やはり生まれつき才能のある人は、ない人の気持ちを理解するのは難しいのでしょう。
盧山師範の支部だった埼玉支部では、試合クラスなるものは設けられていなかったようです。
大山総裁が、牛を素手で殺したり、映画にドキュメンタリーで紹介されたりしたことで、極真の前身である大山道場では、入門者が後を絶えなくなってしまい、稽古ができないからといって、稽古の最初からいきなり全力による組手を連日行って生徒を減らしていったようです。
篩に入れて振りまくり、脱落者を出させることにしたようです。
そこでも盧山師範は残ったのです、試合クラスなどない時代において。
試合が頻繁に開催される。
だから、試合のテクを中心に練習すべきである、というのは間違いで、それでは勝てるはずはないのです。
そこで私は、どのようなことをすれば王道の強さを得ることができるか。
真の強さを得ている人はどのような稽古やトレーニングを積んでいるか、ということを研究しました。
すると、古来からの基本、移動、型をみっちりやり、それでいて試合のテクを磨いている人、ということがわかりました。

基本、移動、型だけでもいけないし、テクだけ磨いているのでもダメということです。
強烈な技を磨き、たれ強さを向上させながらも、テクを磨くということが王道のようです。
むしろ前者にバイアスをかけながら、後者も併用していくということがいいと思えてならないですね。
一般社団法人極真会館の沖縄支部の支部長をしておられる七戸康博氏は総本部で内弟子として過ごした人でした。
185センチの巨漢で、ウェイト制大会の重量級を4度制覇した人です。
しかし、かなり不器用で、初期の七戸氏の組手は雑で、非常に汚い、試合のあとのほうになると、前のめりになってさらに汚い組手になっていたのがわかりました。
しかし、大山総裁は七戸氏が強烈に技を磨き、そして打たれ強くなる訓練にいそしんでいた姿を見て決して貶したりはしなかったのですね。
汚く、下手な組手でも技が強烈だから相手が退く。
それで心に高揚感が上がって、テクにも向上心が向き、それでテクの向上も図ることができた。
 七戸康博
その結果、七戸師範の選手生活の最後から10年くらいは、非常に器用な組手をしているのがわかります。
当初、汚い組手をしていたことなど忘れていた人も大勢いたでしょう。
この七戸師範以外にも、初めは下手な組手ながら、強烈な技を磨くことに最優先にしていったがゆえに、後には器用な組手ができるようになり、盤石な強さを得れたパターンはたくさんあります。
しかし、松井章圭氏は、空手を始めた当初からある程度の地力と天分に恵まれたセンスがあった。
そこへきて、テクを最初に磨いていくことで試合に勝てるようになった。
それで、空手で一番重要なのは、テクであるというような世界観を抱いてしまい、それがない人にはとにかくテクを磨くことにバイアスをかけるべしというような指導を施すようになったのでしょう。
それが松井派の弱体化の最大原因としか思ないですね。
そういう世界観ゆえに、松井氏は大山総裁の指導法を貶していたようですね。

ゆえに、現役時代に城西支部にも出稽古に来ていたのでしょう。
しかし、自身の経験だけで物事を断定するのは間違いで、ではなぜテクを前面に出しているのに、松井派の選手は弱体化しているのか?
テクを最初にありきではなく、技や身体の強靭さを最初にありきで稽古して強くなっていった人も大勢いるではないか、それはどう説明するのか?
と私は問いたいですね。
自分はこういう強くなり方できたが、こういう強くなるいき方もあるんだ、というような複眼的なものの見方ができていないのですね松井氏は。
ゆえに自分の意見に反対の人は、誰彼かまわず除名にしてきたのでしょう。
その複眼的なものの見方が大山総裁はできていた。
ゆえに、多くの人が魅了され、その組織内に人生を賭けると誓う人が無数に出ていた。
 大山総裁
しかし、複眼的なものの見方が松井氏にはできなかったがゆえに、多くの人が辞めて離脱していった、ということは言えないでしょうか?
ゆえに、俯瞰して総合的に見れる人こそがその組織の長たるにふさわしいといえるのではないでしょうか?
その最たる例が新極真会の緑代表ではないでしょうか?
この組織は非常に魅力的に私は見えるのです。
何よりも指導法が、王道のような気がしてならないですね。
技の強烈さや、身体の打たれ強さにバイアスをかけて指導している。

これによって誰もがすぐに強くなれるという楽観的な精神になれる。ゆえに、 新極真会の大会では、予期せぬ選手がいきなり上位にきたり優勝したりする。しかし、 松井派ではあらかじめ予想された人しか上位にきたり優勝出来たりできない。全日本大会ではいつもおなじような選手しか入賞できていないでしょう? そうではなく、 誰もが楽観的な精神になれることが重要でしょう。その楽観性が、大山総裁の存命時代の極真には厳然としてあった。ゆえに、いつも 全日本大会では 優勝者が入れ替わっていたのです。 あまりテクニックにバイアスをかけすぎると、難しい印象を与えてしまうだけでなく、最重要なことが見過ごされてしまう危険性があるのです。「相手の技に対応して受けろ、躱せ、カウンターを合わせろ」 こういったことも重要ですが、毎回毎回「受けろ、躱せ、カウンターを合わせろ」といったことばかり講義されていては、 相手を倒す、もらっても耐える、といった身体を強靭にする、という意識が希薄になってしまうのは否めないでしょう。

それで上手くいかないから、さらにテクを磨く… これではどんどん王道の強さから遠ざかるのは言うまでもないです。それは、 松井派の日本人選手を見ていればわかるでしょう? 決してひとりよがりの議論を展開しているのではないと思います。 組織を長が、複眼的なものを見れて、人の意見を取り入れて組織を運営し、生徒の指導も行っていく。
これが組織の王道でしょう。それが松井氏にはできないがゆえに、本部長の6分の5がいなくなってしまう。そんな事を考えてしまいました。 新極真会にしろ、盧山師範の 極真館にしろ、自分にとって魅力的に映る組織であることは間違いないです。 大山総裁の死後、無数な数に分裂してしまった 極真ですが、その組織を一同団結して戦おうという意図で、 極真世界連合なる組織を作った時期がありました。 しかし、その時に 新極真会や 極真館も参戦していたのですね。 その際も、 緑代表と 盧山師範が一堂に会していたのを見てほほえましい事態だったのを覚えています。  このような派閥を超えた、一堂に会する事態に感動できる人。 それもまた組織の長としてふさわしいでしょう。しかし 松井氏は、そんなことよりも、自分の館長としての保身と、自分の思い通りに指令を出すことにしか興味のない人なのでしょう。 まさしく サイコパスですね。 サイコパスは、組織の長にふさわしくないのは明白です。そういった情を重んじるゆえに、 岡崎寛人氏は、盧山師範が除名になった時にも、その理不尽さに不条理を覚えて松井派を脱退し、極真館に入ったのでしょう。 岡崎寛人 この 岡崎氏が、 極真館の 次期館長になったようです。 岡崎師範がこれからどのような執政をしていくのか、見守っていきたいと思います。 ●今回は以下、岡崎師範の本を紹介したいです。 ↓

※参考ページ ↓ 『極真分裂20年を振り返る』
テーマ:空手 - ジャンル:スポーツ
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